も直接に[#「最も直接に」に傍点]僕にこのギリシアを感じさせたのは前に挙げた一枚のルドンである。……
 ギリシア主義とヘブライ主義との思想上の対立はいろいろの議論を生じてゐる。が、僕はそれ等の議論には余り興味を持つてゐない。唯街頭の演説に耳を傾けるやうに聞いてゐるだけである。しかしこのギリシア的な美しさはかう云ふ問題に門外漢の僕にも「恐しい」と言つても差支へない。僕はここにだけ――このギリシアにだけ僕等の東洋に対立する「西洋の呼び声」を感じるのである。貴族はブウルヂヨアに席を譲つたであらう。ブウルヂヨアも亦プロレタリアに早晩席を譲るであらう。けれども西洋の存する限り、不可思議なギリシアは必ず僕等を、――或は僕等の子孫たちを引き寄せようとするのに違ひない。
 僕はこの文章を書いてゐるうちに古代の日本に渡つて来たアツシリアの竪琴《たてごと》を思ひ出した。大いなる印度は僕等の東洋を西洋と握手させるかも知れない。しかしそれは未来のことである。西洋は――最も西洋的なギリシアは現在では東洋と握手してゐない。ハイネは「流謫《るたく》の神々」の中に十字架に逐《お》はれたギリシアの神々の西洋の片田舎に住んでゐることを書いた。けれどもそれは片田舎にもしろ、兎に角西洋だつたからである。彼等は僕等の東洋には一刻も住んではゐられなかつたであらう。西洋はたとひヘブライ主義の洗礼を受けた後にもしろ、何か僕等の東洋と異つた血脈を持つてゐる。その最も著しい例は或はポルノグラフイイにあるかも知れない。彼等は肉感そのものさへ僕等と趣《おもむき》を異にしてゐる。
 或人々は千九百十四五年に死んだドイツの表現主義の中に彼等の西洋を見出してゐる。それから又或人々は――レムブラントやバルザツクの中《うち》に彼等の西洋を見出してゐる人々も勿論多いことであらう。現に秦豊吉《はたとよきち》氏などはロココ時代の芸術に秦氏の西洋を見出してゐる。僕はかう云ふ種々の西洋を西洋ではないと言ふのではない。しかしそれらの西洋のかげにいつも目を醒ましてゐる一羽の不死鳥――不可思議なギリシアを恐れてゐるのである。恐れてゐる?――或は恐れてゐるのではないかも知れない。けれども妙に抵抗しながら、やはりじりじりと引き寄せられる動物的磁気に近いものを感じない訣《わけ》には行かないのである。
 僕は若《も》し目をつぶれるとすれば、かう云ふ「西洋
前へ 次へ
全55ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング