尊敬に価するものである。(白柳氏はこの小論文の末にこれは「文壇の一隅に唯物美学の呼声、若しくはそれに関する飜訳の現れる絶対以前」に書いたと註してゐる。)僕は美学などは全然知らない。況《いはん》や唯物美学などと云ふものには更に縁のない衆生《しゆじやう》である。しかし白柳氏の美の発生論は僕にも僕の美学を作る機会を与へた。白柳氏は造形美術以外の美の発生に言及してゐない。僕はもう十数年前、或山中の宿に鹿の声を聞き、何かしみじみと人恋しさを感じた。あらゆる抒情詩はこの鹿の声に、――雌を呼ぶ雄の声に発したのであらう。しかしこの唯物美学は俳人は勿論、遠い昔の歌人さへ知つてゐたかも知れない。唯叙事詩に至つては確かに太古の民のゴシツプに起源を発してゐたのであらう。「イリアツド」は神々のゴシツプである。その又ゴシツプは僕等には野蛮な荘厳《さうごん》に充《み》ち満ちた美を感じさせるのに違ひない。しかしそれは「僕等には」である。太古の民は「イリアツド」に彼等の歓びや悲しみや苦しみを感ぜずにはゐなかつたであらう。のみならずそこに彼等の心の燃え上るのを感ぜずにはゐなかつたであらう。……
白柳秀湖氏は美の中に僕等の祖先の生活を見てゐる。が、僕等は僕等ばかりではない。アフリカの沙漠に都会の出来る頃には僕等の子孫の祖先になるのである。従つて僕等の心もちは丁度地下の泉のやうに僕等の子孫にも伝はるであらう。僕は白柳秀湖氏のやうに焚き火に親しみを感じるものである。同時に又その親しみに太古の民を思ふものである。(僕は「槍ヶ岳紀行」の中にちよつとこのことを書いたつもりである。)しかし「猿に近い吾々の祖先」は彼等の焚き火を燃やす為にどの位苦心をしたことであらう。焚き火を燃やすことを発明したのは勿論天才だつたのに違ひない。けれどもその焚き火を燃やしつづけたものはやはり何人かの天才たちである。僕はこの苦心を思ふ時、不幸にも「今の芸術といふものなど、無くなつてしまつてもよい」とは考へない。
十五 「文芸評論」
批評も亦文芸上の一形式である。僕等の誉《ほ》めたり貶《けな》したりするのも畢竟《ひつきやう》は自己を表現する為であらう。幕の上に映つたアメリカの役者に、――しかも死んでしまつたヴアレンテイノに拍手を送つて吝《をし》まないのは相手を歓ばせる為でも何でもない。唯好意を、――惹《ひ》いては自己を表現
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