に僕等の全生活感情を盛り難いことにもよる訣《わけ》である。(詩は――古い語彙《ごゐ》を用ひるとすれば、新体詩は短歌や発句《ほつく》よりもかう云ふ点では自由である。プロレツトカルトの詩はあつても、プロレツトカルトの発句はない。)しかし詩人たちは、――たとへば現世の歌人たちもかう云ふ試みをしてゐないことはない。その最も著しい例は「悲しき玩具」の歌人石川|啄木《たくぼく》が僕等に残した仕事である。これは恐らくは今日では言ひ古されてゐることであらう。しかし「新詩社」は啄木の外にもこの「オデイツソイスの弓」を引いたもう一人の歌人を生み出してゐる。「酒《さか》ほがひ」の歌人吉井勇氏は正にかう云ふ仕事をした。「酒ほがひ」の歌にうたはれたものはいづれも小説の匂を帯びてゐる。(或は心理描写の影を帯びてゐる。)大川端《おほかはばた》の秋の夕暮に浪費を思つた吉井勇氏はかう云ふ点では石川啄木と、――貧苦と闘つた石川啄木と好個《かうこ》の対照を作るものであらう。(なほ又|次手《ついで》に一言すれば、「アララギ」の父正岡子規が「明星」の子北原白秋と僕等の散文を作り上げる上に力を合せたのも好対照である。)が、これは必しも「新詩社」にばかりあつたことではない。斎藤茂吉氏は「赤光《しやくくわう》」の中に「死に給ふ母」、「おひろ」等の連作を発表した。のみならず又十何年か前に石川啄木の残して行つた仕事を――或は所謂《いはゆる》「生活派」の歌を今もなほ着々と完成してゐる。元来斎藤茂吉氏の仕事ほど、多岐多端に渡つてゐるものはない。同氏の歌集は一首ごとに倭琴《わごん》やセロや三味線や工場の汽笛を鳴り渡らせてゐる。(僕の言ふのは「一首ごと」である。「一首の中に」と言ふのではない。)若《も》しこのまま書きつづけるとすれば、僕は或はいつの間にか斎藤茂吉論に移つてしまふであらう。しかしそれは便宜上、歯止めをかけて置かなければならぬ。僕はまだこの次手に書きたいことを持ち合せてゐる。が、兎に角斎藤茂吉氏ほど、仕事の上に慾の多い歌人は前人の中にも少かつたであらう。

     九  両大家の作品

 勿論あらゆる作品はその作家の主観を離れることは出来ない。しかし仮に客観と云ふ便宜上の貼り札を用ひるとすれば、自然主義の作家たちの中でも最も客観的な作家は徳田秋声氏である。正宗白鳥氏はこの点では対蹠点《たいせきてん》に立つてゐる
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