てゐた印象派の大家のルノアルは「我々は何も新らしいことをしようとしたのではない。唯古大家の跡を踏んだだけだ。それを新らしいことのやうに言ひ囃《はや》したのは世間だけに過ぎぬ」と言ひました。単に鑑賞に止まらず、創作に志す青年諸君は一層この心がけを持つて貰ひたいと思ひます。若し諸君の万葉集を読み、或は芭蕉を読むのを見て、時代遅れと笑ふものがあれば、芥川龍之介はかう言つたと、――位のことには何びとも驚かないかも知れません、それならばルノアルはかう言つたと一撃を加へておやりなさい。その為にも甚だ便利だと思ひ、ルノアルを立ち合はせた次第であります。
 ではどう言ふ鑑賞上の議論を参照すれば好いか? これもわたしの所信によれば、批評家よりも寧ろ作家の書いた文芸上の議論が有益であります。と言つても決してわたし自身の「鑑賞講座」の広告などをしてゐる次第ではありません。唯作家の書いたものは何処か作家でなければわからぬ微妙の言が多いからであります。或は又作家の苦心談でもよろしい。かう言ふ議論も昔のものは取りつき悪いと言ふのならば、やはり新らしい文芸の古典的作家の議論でも啓発を受けることは多いでせう。若し夫《
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