して、豈是士大夫の性情を陶写する事ならんや。」
 「若し直《ちよく》にして致《ち》なく、板《はん》にして霊《れい》ならずんば、又是病なり。故に質を存せんと欲する者は先づ須《すべか》らく理径明透して識量宏遠なるべし。之に加ふるに学力を以てし、之に参するに見聞を以てせば、自然に意趣は古に近くして、波瀾老成ならん。」
 「若し夫れ通人才子の情を寄せ興を託する、雅趣余りあらざるに非ざるも、而《しか》も必ず其の規矩《きく》に出入し、動きて輒《すなは》ち合ふ能はざる、是を雅にして未だ正しからずと謂ふ。師門の授受の如きに至りては、膠固《かうもと》より已に深し。既に自ら是として人非とし、復《また》見ること少《まれ》にして怪しむこと多ければ、之を非とせんと欲するも未だ嘗《かつて》縄尺《じようしやく》に乖《そむ》かず。之を是とせんと欲するも、未だ尋常に越ゆるを見ず。是を正にして雅ならずと謂ふ。夫れ雅にして未だ正ならざるは猶可なるも若し正にして未だ雅ならざるは、其の俗を去ること幾何《いくばく》ぞや。」
 元来「鑑賞講座」などと言ふものはいくらでも話す事はあるものであります。しかし最初に挙げた三問題だけは兎に角話してしまひましたから、これでひとまづ打ち切ることにします。何だか愈打ち切るとなると、丁度碌に体も拭かずに湯を上つた時のやうな、物足りなさに似たものもありますが、それは「文芸講座」の都合上やむを得ないことと思はなければなりません。その辺はどうか大目に見て下さい。 (完)



底本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店
   1996(平成8)年9月9日発行
初出:「文芸講座 第二号、第五号、第一二号」文藝春秋
   1924(大正13)年10月10日
   1924(大正13)年11月30日
   1925(大正14)年4月3日
入力:文子
校正:浅原庸子
2007年4月13日作成
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