風変りな作品に就いて
芥川龍之介
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《》:ルビ
(例)貴君《あなた》
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(例)日本|耶蘇《やそ》会
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(例)[#地から1字上げ](大正十四年十二月)
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「貴君《あなた》の作品の中《うち》で、愛着を持つてゐらつしやるものか、好きなものはありませんか」と云はれると、一寸《ちよつと》困る。さういふ条件の小説を特別に選《よ》り出す事は出来ないし、又特別に取扱はなくてはならない小説があるとも思へない。第一、自分の小説といふものを考へた時に、その沢山《たくさん》な小説の行列《ぎやうれつ》の中から、特に、私《わたし》が小説で御座《ござ》ると名乗つて飛び出して来るものも見当らない。かう云ひ切つて了《しま》ふと、折角《せつかく》の御尋ねに対する御返事にはならないから、さう大袈裟《おほげさ》な問題として取扱はないで、僕の書いた小説の中《うち》で、一寸《ちよつと》風変りなものを二つ抜き出して見ることにする。
自分の小説は大部分、現代普通に用ひられてゐる言葉で書いたものである。例外として、「奉教人《ほうけうにん》の死」と「きりしとほろ上人《しやうにん》伝」とがその中に這入《はい》る。両方とも、文禄《ぶんろく》慶長《けいちやう》の頃、天草《あまくさ》や長崎《ながさき》で出た日本|耶蘇《やそ》会出版の諸書の文体に倣《なら》つて創作したものである。
「奉教人の死」の方は、其宗徒の手になつた当時の口語訳平家物語にならつたものであり、「きりしとほろ上人伝」の方は、伊曾保《いそぼ》物語に倣《なら》つたものである。倣つたといつても、原文のやうに甘《うま》くは書けなかつた。あの簡古素朴《かんこそぼく》な気持が出なかつた。
「奉教人の死」の方は、日本の聖教徒の逸事を仕組んだものであるが、全然自分の想像の作品である。「きりしとほろ上人伝」の方は、セント・クリストフの伝記を材料に取入れて作つたものである。
書き上げてから、読み返して見て、出来不出来から云へば、「きりしとほろ上人伝」の方が、いいと思ふ。
「奉教人の死」を発表した時には面白い話があつた。あれを発表したところ、随分《ずゐぶん》いろいろな批評をかいた手紙が舞ひ込んで来た。中には、その種本《たねぼん》にした、切利支丹《キリシタン》宗徒の手になつた、ほんものの原文を蔵してゐると感違ひをし、五百円の手附金を送つて、買入れ方を申込んだ人があつた。気毒《きのどく》でもあつたが可笑《をか》しくもあつた。
その後《ご》、長崎の浦上《うらかみ》の天主教会のラゲといふ僧侶に出会つたことがあつた。その際、ラゲさんと「きりしとほろ上人伝」の話を交《かは》した。ラゲさんは、自分の生国《しやうこく》が、クリストフが嘗《かつ》て居住してゐた土地であるといふ話し等《など》が出たので、一寸《ちよつと》因縁《いんねん》をつけて考へたものであつた。
将来どんな作品を出すかといふ事に対しては、恐らく、誰《たれ》でも確かな答へを与へることは出来ないだらうと思ふ。小説などといふものは、他の事業とは違つて、プログラムを作つて、取りかかる訣《わけ》にはゆかない。併し、僕は今後、ますます自分の博学ぶりを、或は才人ぶりを充分に発揮《はつき》して、本格小説、私《わたくし》小説、歴史小説、花柳《くわりう》小説、俳句、詩、和歌|等《とう》、等と、その外《ほか》知つてるものを教へてくれれば、なんでもかきたいと思つてゐる。
壺《つぼ》や皿や古画|等《など》を愛玩して時間が余れば、昔の文学者や画家の評論も試みたいし、盛んに他の人と論戦もやつて見たいと思つてゐる。
斯くの如く、僕の前途は遙《はる》かに渺茫《べうばう》たるものであり、大いに将来有望である。
[#地から1字上げ](大正十四年十二月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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