ちの連中には、一人もそれを知っている者がない。だから皆、能勢の口から、この滑稽な人物を、適当に形容する語《ことば》を聞こうとして、聞いた後の笑いを用意しながら、面白そうに能勢の顔をながめていた。中学の四年生には、その時の能勢の心もちを推測する明《めい》がない。自分は危く「あれは能勢の父《ファザア》だぜ。」と云おうとした。
 するとその時、
「あいつかい。あいつはロンドン乞食《こじき》さ。」
 こう云う能勢の声がした。皆が一時にふき出したのは、云うまでもない。中にはわざわざ反り身になって、懐中時計を出しながら、能勢の父親の姿《スタイル》を真似て見る者さえある。自分は、思わず下を向いた。その時の能勢の顔を見るだけの勇気が、自分には欠けていたからである。
「そいつは適評だな。」
「見ろ。見ろ。あの帽子を。」
「日《ひ》かげ町《ちょう》か。」
「日かげ町にだってあるものか。」
「じゃあ博物館だ。」
 皆がまた、面白そうに笑った。
 曇天の停車場は、日の暮のようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンドン乞食の方をすかして見た。
 すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅の狭い光の帯が高い天井の明り取りから、茫《ぼう》と斜めにさしている。能勢の父親は、丁度その光の帯の中にいた。――周囲では、すべての物が動いている。眼のとどく所でも、とどかない所でも動いている。そうしてまたその運動が、声とも音ともつかないものになって、この大きな建物の中を霧のように蔽《おお》っている。しかし能勢の父親だけは動かない。この現代と縁のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折をあみだにかぶって、紫の打紐のついた懐中時計を右の掌《たなごころ》の上にのせながら、依然としてポンプの如く時間表の前に佇立《ちょりつ》しているのである……

 あとで、それとなく聞くと、その頃大学の薬局に通っていた能勢の父親は、能勢が自分たちと一しょに修学旅行に行く所を、出勤の途すがら見ようと思って、自分の子には知らせずに、わざわざ停車場へ来たのだそうである。
 能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、肺結核《はいけっかく》に罹《かか》って、物故した。その追悼式《ついとうしき》を、中学の図書室で挙げた時、制帽をかぶった能勢の写真の前で悼
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