。その上また、身ぶりとか、顔つきとかで、人を笑わせるのに独特な妙を得ている。従って級《クラス》の気うけも、教員間の評判も悪くはない。もっとも自分とは、互に往来《ゆきき》はしていながら、さして親しいと云う間柄でもなかった。
「早いね、君も。」
「僕はいつも早いさ。」能勢はこう云いながら、ちょいと小鼻をうごめかした。
「でもこの間は遅刻したぜ。」
「この間?」
「国語の時間にさ。」
「ああ、馬場に叱《しか》られた時か。あいつは弘法《こうぼう》にも筆のあやまりさ。」能勢は、教員の名前をよびすてにする癖があった。
「あの先生には、僕も叱られた。」
「遅刻で?」
「いいえ、本を忘れて。」
「仁丹《じんたん》は、いやにやかましいからな。」「仁丹」と云うのは、能勢が馬場教諭につけた渾名《あだな》である。――こんな話をしている中に、停車場前へ来た。
乗った時と同じように、こみあっている中をやっと電車から下りて停車場へはいると、時刻が早いので、まだ級《クラス》の連中は二三人しか集っていない。互に「お早う」の挨拶《あいさつ》を交換する。先を争って、待合室の木のベンチに、腰をかける。それから、いつものように、勢よく饒舌《しゃべ》り出した。皆「僕」と云う代りに、「己《おれ》」と云うのを得意にする年輩《ねんぱい》である。その自ら「己《おれ》」と称する連中の口から、旅行の予想、生徒同志の品隲《ひんしつ》、教員の悪評などが盛んに出た。
「泉はちゃくい[#「ちゃくい」に傍点]ぜ、あいつは教員用のチョイスを持っているもんだから、一度も下読みなんぞした事はないんだとさ。」
「平野はもっとちゃくい[#「ちゃくい」に傍点]ぜ。あいつは試験の時と云うと、歴史の年代をみな爪《つめ》へ書いて行くんだって。」
「そう云えば先生だってちゃくい[#「ちゃくい」に傍点]からな。」
「ちゃくい[#「ちゃくい」に傍点]とも。本間なんぞは receive のiとeと、どっちが先へ来るんだか、それさえ碌《ろく》に知らない癖に、教師用でいい加減にごま化しごま化し、教えているじゃあないか。」
どこまでも、ちゃくい[#「ちゃくい」に傍点]で持ちきるばかりで一つも、碌な噂は出ない。すると、その中《うち》に能勢が、自分の隣のベンチに腰をかけて、新聞を読んでいた、職人らしい男の靴《くつ》を、パッキンレイだと批評した。これは当時、マッキ
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