俳画展覧会を観て
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)下村為山《しもむらゐざん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二三点|既《すで》に

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(例)[#地から1字上げ](大正七年十一月)
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 俳画展覧会へ行つて見たら、先づ下村為山《しもむらゐざん》さんの半折《はんせつ》が、皆うまいので驚いた。が、実を云ふと、うまい以上に高いのでも驚いた。尤《もつと》もこれは為山《ゐざん》さんばかりぢやない。諸先生の俳画に対して、皆多少は驚いたのである。かう云ふと、諸先生の画《ゑ》を軽蔑《けいべつ》するやうに聞えるかも知れないが、決してさう云ふつもりぢやない。それより寧《むし》ろ、頭のどこかに俳画と云ふものと、値段の安いと云ふ事とを結びつけるものが、予《あらかじ》め存在したと云つた方が適当である。
 但し中には画そのものがくだらなくつて、しかも頗《すこぶ》る高価なものも全くなかつた訣《わけ》じやない。が、あれは余りまづすぎるので、人に買はれると、醜《しう》を後世に残すから、わざと誰も買はないやうな、高い値段づけをつけたんだらうと推察した。唯、さう云ふ画が二三点|既《すで》に売約済《ばいやくずみ》になつてゐたのは、誰よりも先づ描《か》いた人自身が遺憾《ゐかん》だつたのに違ひない。
 それから句仏上人《くぶつしやうにん》が、画を描《か》かせてもやはり器用なのに敬服した。上人は「勿体《もたい》なや祖師《そし》は紙衣《かみこ》の五十年」と云ふ句を作つた人である。が、上人の俳画は勿論祖師でも何《なん》でもないから、更に紙衣《かみこ》なんぞは着てゐない。皆この頃の寒空を知らないやうに、立派《りつぱ》な表装を着用してゐる。
 その次に参考品の所で、浅井黙語《あさゐもくご》先生の画を拝見した。これは非売品だから、値段に脅《おど》されない丈《だけ》でも、甚だ安全なものである。が、そんなことを眼中に置かないでも、鳳凰《ほうわう》や羅漢《らかん》なんぞは、至極《しごく》結構な出来だと思ふ。あの位達者で、しかもあの位|気品《きひん》のある所は、それこそ本式に敬服の外《ほか》はない。
 最後に夏目漱石《なつめそうせき》先生の南山松竹《なんざんしようちく》を見て、同じく又敬意を表した。先生は生前、「己《おれ》は画でも津田《つだ》に頭を下げさせるやうなものを描《か》いてやる」と力《りき》んでゐられたさうである。そこで津田青楓《つだせいふう》さんに御相談申し上げるが、技巧は兎《と》も角《かく》も、気品《きひん》の点へ行《ゆ》くと、先生の画の中には、あなたが頭を御下《おさ》げになつても、恥しくないものがありやしませんか。これは私《わたし》自身が頭を下げるから、さうして平生あなたがかう云ふ問題には公明正大な事をよく承知してゐるから、それで伺《うかが》つて見たいと思ふ。
 前に書き忘れたが、鳴雪翁《めいせつをう》の画も面白く拝見した。昔、初午《はつうま》に稲荷《いなり》へ行《ゆ》くと、よく鳥居をくぐる途《みち》に地口《ぢぐち》の行燈《あんどん》がならんでゐた。あれはその行燈の絵を髣髴《はうふつ》させる所が甚だ風流である。
 まだいろいろ思ひついた事があるが、目下《もくか》多忙の際だから、これだけで御免《ごめん》を蒙《かうむ》りたい。
[#地から1字上げ](大正七年十一月)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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終わり
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