いやうな、高い値段づけをつけたんだらうと推察した。唯、さう云ふ画が二三点|既《すで》に売約済《ばいやくずみ》になつてゐたのは、誰よりも先づ描《か》いた人自身が遺憾《ゐかん》だつたのに違ひない。
それから句仏上人《くぶつしやうにん》が、画を描《か》かせてもやはり器用なのに敬服した。上人は「勿体《もたい》なや祖師《そし》は紙衣《かみこ》の五十年」と云ふ句を作つた人である。が、上人の俳画は勿論祖師でも何《なん》でもないから、更に紙衣《かみこ》なんぞは着てゐない。皆この頃の寒空を知らないやうに、立派《りつぱ》な表装を着用してゐる。
その次に参考品の所で、浅井黙語《あさゐもくご》先生の画を拝見した。これは非売品だから、値段に脅《おど》されない丈《だけ》でも、甚だ安全なものである。が、そんなことを眼中に置かないでも、鳳凰《ほうわう》や羅漢《らかん》なんぞは、至極《しごく》結構な出来だと思ふ。あの位達者で、しかもあの位|気品《きひん》のある所は、それこそ本式に敬服の外《ほか》はない。
最後に夏目漱石《なつめそうせき》先生の南山松竹《なんざんしようちく》を見て、同じく又敬意を表した。先生は生前、
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