ならぬ。猿股《さるまた》やズボン下や靴下にはいつも馬の毛がくっついているから。……
「十二月×日 靴下の切れることは非常なものである。実は常子に知られぬように靴下|代《だい》を工面《くめん》するだけでも並みたいていの苦労ではない。……
「二月×日 俺は勿論寝る時でも靴下やズボン下を脱いだことはない。その上常子に見られぬように脚の先を毛布《もうふ》に隠してしまうのはいつも容易ならぬ冒険である。常子は昨夜《ゆうべ》寝る前に『あなたはほんとうに寒がりね。腰へも毛皮を巻いていらっしゃるの?』と言った。ことによると俺の馬の脚も露見《ろけん》する時が来たのかも知れない。……」
半三郎はこのほかにも幾多の危険に遭遇《そうぐう》した。それを一々|枚挙《まいきょ》するのはとうていわたしの堪《た》えるところではない。が、半三郎の日記の中でも最もわたしを驚かせたのは下《しも》に掲げる出来事である。
「二月×日 俺は今日|午休《ひるやす》みに隆福寺《りゅうふくじ》の古本屋《ふるぼんや》を覗《のぞ》きに行った。古本屋の前の日だまりには馬車が一台止まっている。もっとも西洋の馬車ではない。藍色《あいいろ》の幌《ほ
前へ
次へ
全28ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング