ひしかは》の浮世絵に髣髴《はうふつ》たる女や若衆《わかしゆ》の美しさにも鋭い感受性を震はせてゐた、多情なる元禄びとの作品である。「元禄びとの」、――僕は敢て「元禄びとの」と言つた。是等の作品の抒情詩的甘露味はかの化政度の通人などの夢寐《むび》にも到り得る境地ではない。彼等は年代を数へれば、「わが稚名を君はおぼゆや」と歌つた芭蕉と、僅か百年を隔つるのに過ぎぬ。が、実は千年の昔に「常陸少女《ひたちをとめ》を忘れたまふな」と歌つた万葉集中の女人よりも遙かに縁の遠い俗人だつたではないか?

     十三 鬼趣

 芭蕉もあらゆる天才のやうに時代の好尚《かうしやう》を反映してゐることは上に挙げた通りである。その著しい例の一つは芭蕉の俳諧にある鬼趣《きしゆ》であらう。「剪燈新話《せんとうしんわ》」を飜案した浅井|了意《れうい》の「御伽婢子《おとぎばふこ》」は寛文《くわんぶん》六年の上梓《じやうし》である。爾来《じらい》かう云ふ怪談小説は寛政頃まで流行してゐた。たとへば西鶴の「大下馬《おほげば》」などもこの流行の生んだ作品である。正保《しやうはう》元年に生れた芭蕉は寛文、延宝《えんぱう》、天和《てんな》、貞享《ぢやうきやう》を経、元禄七年に長逝した。すると芭蕉の一生は怪談小説の流行の中に終始したものと云はなければならぬ。この為に芭蕉の俳諧も――殊にまだ怪談小説に対する一代の興味の新鮮だつた「虚栗《みなしぐり》」以前の俳諧は時々鬼趣を弄《もてあそ》んだ、巧妙な作品を残してゐる。たとへば下の例に徴するが好い。

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小夜嵐《さよあらし》とぼそ落ちては堂の月    信徳《しんとく》
 古入道は失せにけり露      桃青《たうせい》

 から尻沈む淵はありけり     信徳
小蒲団に大蛇《をろち》の恨み鱗形《うろこがた》      桃青

気違《きちがひ》を月のさそへば忽《たちまち》に      桃青
 尾を引ずりて森の下草      似春《じしゆん》

 夫《つま》は山伏あまの呼び声      信徳
一念の※[#「魚+檀のつくり」、第3水準1−94−53]《うなぎ》となつて七《なな》まとひ     桃青

骨刀《こつがたな》土器鍔《かはらけつば》のもろきなり      其角
 痩せたる馬の影に鞭うつ     桃青

 山彦嫁をだいてうせけり     其角
忍びふす人は地蔵にて明過《あけすぐ》し    桃青

釜かぶる人は忍びて別るなり    其角
 槌《つち》を子に抱くまぼろしの君    桃青

 今|其《その》とかげ金色《こんじき》の王       峡水《けふすゐ》
袖に入る※[#「虫+璃のつくり」、第3水準1−91−62]竜《あまりよう》夢《ゆめ》を契《ちぎ》りけむ     桃青
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 是等の作品の或ものは滑稽であるのにも違ひない。が、「痩せたる馬の影」だの「槌を子に抱く」だのの感じは当時の怪談小説よりも寧ろもの凄い位である。芭蕉は蕉風を樹立した後、殆ど鬼趣には縁を断《た》つてしまつた。しかし無常の意を寓した作品はたとひ鬼趣ではないにもせよ、常に云ふ可らざる鬼気を帯びてゐる。
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  骸骨の画に
夕風や盆挑灯《ぼんぢやうちん》も糊ばなれ
  本間|主馬《しゆめ》が宅に、骸骨どもの笛、
  鼓をかまへて能《のう》する所を画きて、
  壁に掛けたり(下略)
稲妻やかほのところが薄《すすき》の穂
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[#地から2字上げ](大正十二年―十三年)



底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月14日公開
2004年3月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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