うにどうすることも出来ないものだった。………
K君の来たのは二時前だった。僕はK君を置き炬燵に請《しょう》じ、差し当りの用談をすませることにした。縞《しま》の背広を着たK君はもとは奉天《ほうてん》の特派員、――今は本社詰めの新聞記者だった。
「どうです? 暇ならば出ませんか?」
僕は用談をすませた頃、じっと家にとじこもっているのはやり切れない気もちになっていた。
「ええ、四時頃までならば。………どこかお出かけになる先はおきまりになっているんですか?」
K君は遠慮勝ちに問い返した。
「いいえ、どこでも好いんです。」
「お墓はきょうは駄目でしょうか?」
K君のお墓と言ったのは夏目先生のお墓だった。僕はもう半年ほど前に先生の愛読者のK君にお墓を教える約束をしていた。年の暮にお墓参りをする、――それは僕の心もちに必ずしもぴったりしないものではなかった。
「じゃお墓へ行きましょう。」
僕は早速|外套《がいとう》をひっかけ、K君と一しょに家《いえ》を出ることにした。
天気は寒いなりに晴れ上っていた。狭苦しい動坂《どうざか》の往来もふだんよりは人あしが多いらしかった。門に立てる松や竹も田端青年団詰め所とか言う板葺《いたぶ》きの小屋の側に寄せかけてあった。僕はこう言う町を見た時、幾分か僕の少年時代に抱いた師走《しわす》の心もちのよみ返るのを感じた。
僕等は少時《しばらく》待った後、護国寺《ごこくじ》前行の電車に乗った。電車は割り合いにこまなかった。K君は外套《がいとう》の襟を立てたまま、この頃先生の短尺を一枚やっと手に入れた話などをしていた。
すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちてこなごなになった。そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊《つ》り革《かわ》につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車中の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、――少くとも人々の注意だけは惹《ひ》こうとする顔に違いなかった。が、誰《たれ》も言い合せたように全然彼女には冷淡だった。僕はK君と話しながら、何か拍子抜けのした彼女の顔に可笑《おか》しさよりも寧《むし》ろはかなさを感じた。
僕等は終点で電車を下り、注連飾《しめかざ》りの店など出来た町を雑司《ぞうし》ヶ谷《や》
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