だの搾取《さくしゅ》だのと云う言葉にある尊敬――と云うよりもある恐怖《きょうふ》を感じていた。彼はその恐怖を利用し、度たび僕を論難した。ヴェルレエン、ラムボオ、ヴオドレエル、――それ等の詩人は当時の僕には偶像《ぐうぞう》以上の偶像だった。が、彼にはハッシッシュや鴉片《あへん》の製造者にほかならなかった。
 僕等の議論は今になって見ると、ほとんど議論にはならないものだった。しかし僕等は本気《ほんき》になって互に反駁《はんばく》を加え合っていた。ただ僕等の友だちの一人、――Kと云う医科の生徒だけはいつも僕等を冷評《れいひょう》していた。
「そんな議論にむき[#「むき」に傍点]になっているよりも僕と一しょに洲崎《すさき》へでも来いよ。」
 Kは僕等を見比べながら、にやにや笑ってこう言ったりした。僕は勿論内心では洲崎へでも何でも行《ゆ》きたかった。けれども彼は超然《ちょうぜん》と(それは実際「超然」と云うほかには形容の出来ない態度だった。)ゴルデン・バットを銜《くわ》えたまま、Kの言葉に取り合わなかった。のみならず時々は先手《せんて》を打ってKの鋒先《ほこさき》を挫《くじ》きなどした。
「革命とはつまり社会的なメンスツラチオンと云うことだね。……」
 彼は翌年の七月には岡山《おかやま》の六高《ろっこう》へ入学した。それからかれこれ半年《はんとし》ばかりは最も彼には幸福だったのであろう。彼は絶えず手紙を書いては彼の近状を報告してよこした。(その手紙はいつも彼の読んだ社会科学の本の名を列記していた。)しかし彼のいないことは多少僕にはもの足《た》らなかった。僕はKと会う度に必ず彼の噂《うわさ》をした。Kも、――Kは彼に友情よりもほとんど科学的興味に近いある興味を感じていた。
「あいつはどう考えても、永遠に子供でいるやつだね。しかしああ云う美少年の癖に少しもホモ・エロティッシュな気を起させないだろう。あれは一体どう云う訣《わけ》かしら?」
 Kは寄宿舎の硝子《ガラス》窓を後《うし》ろに真面目《まじめ》にこんなことを尋ねたりした、敷島《しきしま》の煙を一つずつ器用に輪にしては吐《は》き出しながら。

        四

 彼は六高へはいった後《のち》、一年とたたぬうちに病人となり、叔父《おじ》さんの家へ帰るようになった。病名は確かに腎臓結核《じんぞうけっかく》だった。僕は時々ビスケットなどを持ち、彼のいる書生部屋へ見舞いに行った。彼はいつも床《とこ》の上に細い膝《ひざ》を抱《だ》いたまま、存外《ぞんがい》快濶《かいかつ》に話したりした。しかし僕は部屋の隅に置いた便器を眺めずにはいられなかった。それは大抵《たいてい》硝子《ガラス》の中にぎらぎらする血尿《けつにょう》を透《す》かしたものだった。
「こう云う体《からだ》じゃもう駄目《だめ》だよ。とうてい牢獄《ろうごく》生活も出来そうもないしね。」
 彼はこう言って苦笑《くしょう》するのだった。
「バクニインなどは写真で見ても、逞《たくま》しい体をしているからなあ。」
 しかし彼を慰めるものはまだ全然ない訣《わけ》ではなかった。それは叔父さんの娘に対する、極めて純粋な恋愛だった。彼は彼の恋愛を僕にも一度も話したことはなかった。が、ある日の午後、――ある花曇りに曇った午後、僕は突然彼の口から彼の恋愛を打ち明けられた。突然?――いや、必ずしも突然ではなかった。僕はあらゆる青年のように彼の従妹《いとこ》を見かけた時から何か彼の恋愛に期待を持っていたのだった。
「美代《みよ》ちゃんは今学校の連中と小田原《おだわら》へ行っているんだがね、僕はこの間《あいだ》何気《なにげ》なしに美代ちゃんの日記を読んで見たんだ。……」
 僕はこの「何気なしに」に多少の冷笑を加えたかった。が、勿論《もちろん》何も言わずに彼の話の先を待っていた。
「すると電車の中で知り合になった大学生のことが書いてあるんだよ。」
「それで?」
「それで僕は美代ちゃんに忠告しようかと思っているんだがね。……」
 僕はとうとう口を辷《すべ》らし、こんな批評《ひひょう》を加えてしまった。
「それは矛盾《むじゅん》しているじゃないか? 君は美代ちゃんを愛しても善《い》い、美代ちゃんは他人を愛してはならん、――そんな理窟《りくつ》はありはしないよ。ただ君の気もちとしてならば、それはまた別問題だけれども。」
 彼は明かに不快《ふかい》らしかった。が、僕の言葉には何も反駁《はんばく》を加えなかった。それから、――それから何を話したのであろう? 僕はただ僕自身も不快になったことを覚えている。それは勿論病人の彼を不快にしたことに対する不快だった。
「じゃ僕は失敬するよ。」
「ああ、じゃ失敬。」
 彼はちょっと頷《うなず》いた後《のち》、わざとらしく気軽につけ加えた
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