きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」
 白は思わず身震《みぶる》いをしました。この声は白の心の中へ、あの恐ろしい黒の最後をもう一度はっきり浮ばせたのです。白は目をつぶったまま、元来た方へ逃げ出そうとしました。けれどもそれは言葉通り、ほんの一瞬の間《あいだ》のことです。白は凄《すさま》じい唸《うな》り声を洩《も》らすと、きりりとまた振り返りました。
「きゃあん。きゃあん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」
 この声はまた白の耳にはこう云う言葉にも聞えるのです。
「きゃあん。きゃあん。臆病《おくびょう》ものになるな! きゃあん。臆病ものになるな!」
 白は頭を低めるが早いか、声のする方へ駈《か》け出しました。
 けれどもそこへ来て見ると、白の目の前へ現れたのは犬殺しなどではありません。ただ学校の帰りらしい、洋服を着た子供が二三人、頸《くび》のまわりへ縄《なわ》をつけた茶色の子犬を引きずりながら、何かわいわい騒《さわ》いでいるのです。子犬は一生懸命に引きずられまいともがきもがき、「助けてくれえ。」と繰り返していました。しかし子供たちはそんな声に耳を借すけしきもありません。
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