って来ました。それは一つには何かの拍子《ひょうし》に煤《すす》よりも黒い体を見ると、臆病を恥《は》じる気が起ったからです。けれどもしまいには黒いのがいやさに、――この黒いわたしを殺したさに、あるいは火の中へ飛びこんだり、あるいはまた狼と戦ったりしました。が、不思議にもわたしの命はどんな強敵にも奪われません。死もわたしの顔を見ると、どこかへ逃げ去ってしまうのです。わたしはとうとう苦しさの余り、自殺しようと決心しました。ただ自殺をするにつけても、ただ一目《ひとめ》会いたいのは可愛がって下すった御主人です。勿論お嬢さんや坊ちゃんはあしたにもわたしの姿を見ると、きっとまた野良犬《のらいぬ》と思うでしょう。ことによれば坊ちゃんのバットに打ち殺されてしまうかも知れません。しかしそれでも本望です。お月様! お月様! わたしは御主人の顔を見るほかに、何も願うことはありません。そのため今夜ははるばるともう一度ここへ帰って来ました。どうか夜の明け次第、お嬢さんや坊ちゃんに会わして下さい。」
 白は独語《ひとりごと》を云い終ると、芝生《しばふ》に※[#「月+咢」、第3水準1−90−51]《あご》をさしのべた
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