へで》も極めて少ない。しかし勿論派出所の巡査はこの木の古典的趣味を知らずにゐる。
七
令嬢に近い芸者が一人《ひとり》、僕の五六歩前に立ち止まると、いきなり挙手の礼をした。僕はちよつと狼狽《らうばい》した。が、後《うし》ろを振り返つたら、同じ年頃の芸者が一人、やはりちやんと挙手の礼をしてゐた。
八
最も僕を憂鬱にするもの。――カアキイ色に塗つた煙突《えんとつ》。電車の通らない線路の錆《さ》び。屋上《をくじやう》庭園に飼《か》はれてゐる猿。……
九
僕は午前一時頃或町裏を通りかかつた。すると泥だらけの土工《どこう》が二人《ふたり》、瓦斯《ガス》か何かの工事をしてゐた。狭い路は泥の山だつた。のみならずその又泥の山の上にはカンテラの火が一つ靡《なび》いてゐた。僕はこのカンテラの為にそこを通ることも困難だつた。すると若い土工が一人《ひとり》、穴の中から半身を露《あらは》したまま、カンテラを側《わき》へのけてくれた。僕は小声に「ありがたう」と言つた。が、何か僕自身を憐《あはれ》みたい気もちもない訣《わけ》ではなかつた。
十
夜半
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