ウせれば、彼程鋭い技巧家は少い。評論がポオの再来と云ふのは、確《たしか》にこの点でも当つてゐる。その上彼が好んで描《ゑが》くのは、やはりポオと同じやうに、無気味《ぶきみ》な超自然の世界である。この方面の小説家では、英吉利《イギリス》に Algernon Blackwood があるが、到底《たうてい》ビイアスの敵ではない。(二)彼は又批評や諷刺詩《ふうしし》を書くと、辛辣無双《しんらつむさう》な皮肉家である。現にレジンスキイと云ふ、確か波蘭土《ポオランド》系の詩人の如きは、彼の毒舌に翻弄《ほんろう》された結果自殺を遂げたと云はれてゐる。が、彼の批評を読めば、精到の妙はないにしても、犀利《さいり》の快には富んでゐると思ふ。(三)彼は同時代の作家の中では、最もコスモポリタンだつた。南北戦争に従軍した事もある。桑港《サンフランシスコ》の雑誌の主筆をした事もある。倫敦《ロンドン》に文を売つてゐた事もある。しかも彼は生きたか死んだか、未《いまだ》に行方《ゆくへ》が判然しない。中には彼の悪口《あくこう》が、余りに人を傷けた為め暗殺されたのだと云ふものもある。(四)彼の著書には十二巻の全集がある。短篇小説のみ読みたい人は In the Midst of Life 及び Can Such Things Be ? の二巻に就《つ》くが好《よ》い。私はこの二巻の中《うち》に、特に前者を推したいのである。後者には佳作は一二しか見えぬ。(五)彼の評伝は一冊もない。オウ・ヘンリイ等《ら》に比べると、此処《ここ》でも彼は薄倖《はくかう》である。彼の事を多少知りたい人は、ケムブリツヂ版の History of American Literature 第二版の三八六―七頁、或は Cooper 著 Some American Story Tellers のビイアス論を見るが好《よ》い。前に書くのを忘れたが、年代は一八三八―一九一四? である。日本訳は一つも見えない。紹介もこれが最初であらう。(二月二日)
むし
私《わたし》は「龍」と云ふ小説を書いた時、「虫の垂衣《たれぎぬ》をした女が一人《ひとり》、建札《たてふだ》の前に立つてゐる」と書いた。その後《のち》或人の注意によると、虫の垂衣《たれぎぬ》が行はれたのは、鎌倉時代以後ださうである。その証拠には源氏の初瀬詣《はつせまうで》の条《くだり》にも、虫の垂衣《たれぎぬ》の事は見えぬさうである。私はその人の注意に感謝した。が、私が虫の垂衣|云々《うんぬん》の事を書いたのは、「信貴山縁起《しぎさんえんぎ》」「粉河寺縁起《こかはでらえんぎ》」なぞの画巻物《ゑまきもの》によつてゐたのである。だからさう云ふ注意を受けても、剛情《がうじやう》に自説を改めなかつた。その後《のち》何かの次手《ついで》から、宮本勢助《みやもとせいすけ》氏にこの事を話すと、虫の垂衣は今昔物語《こんじやくものがたり》にも出てゐると云ふ事を教へられた。それから早速《さつそく》今昔を見ると、本朝《ほんてう》の部|巻六《まきのろく》、従鎮西上人依観音助遁賊難持命語《ちいぜいよりのぼるのひとくわんのんのたすけによりてぞくなんをのがれいのちをぢするものがたり》の中《うち》に、「転《うた》て思《おぼ》すらむ。然れども昼牟子[#「牟子」に白丸傍点]を風の吹き開きたりつるより見奉るに、更に物《もの》|不[#レ]思《おぼえず》罪《つみ》免《ゆる》し給へ云々《うんぬん》」とある。私は心の舒《の》びるのを感じた。同時に自説は曲げずにゐても、矢張《やはり》文献に証拠のないのが、今までは多少寂しかつたのを知つた。(二月三日)
蕗
坂になった路の土が、砥《と》の粉《こ》のやうに乾いてゐる。寂しい山間の町だから、路には石塊《いしころ》も少くない。両側《りやうがは》には古いこけら葺《ぶき》の家が、ひつそりと日光を浴びてゐる。僕等|二人《ふたり》の中学生は、その路をせかせか上《のぼ》つて行つた。すると赤ん坊を背負《せお》つた少女が一人、濃い影を足もとに落しながら、静に坂を下《くだ》つて来た。少女は袖《そで》のまくれた手に、茎の長い蕗《ふき》をかざしてゐる。何《なん》の為めかと思つたら、それは真夏の日光が、すやすや寝入つた赤ん坊の顔へ、当らぬ為の蕗であつた。僕等二人はすれ違ふ時に、そつと微笑を交換した。が、少女はそれも知らないやうに、やはり静に通りすぎた。かすかに頬《ほほ》が日に焼けた、大様《おほやう》の顔だちの少女である。その顔が未《いまだ》にどうかすると、はつきり記憶に浮ぶ事がある。里見《さとみ》君の所謂《いはゆる》一目惚《ひとめぼ》れとは、こんな心もちを云ふのかも知れない。(二月十日)
[#地から1字上げ](大正十年)
底本:「筑摩全集類聚 芥川
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