妻の語《ことば》が、私もそう云う疑を持ってはいはしないかと云う掛念《けねん》で、ふるえているのを感じました。妻は、私のあらゆる異常な言動が、皆その疑から来たものと思っているらしいのでございます。この上私が沈黙を守るとすればそれは徒《いたずら》に妻を窘《くるし》める事になるよりほかはございません。そこで、私は、額にのせた氷嚢が落ちないように、静に顔を妻の方へ向けながら、低い声で「許してくれ。己《おれ》はお前に隠して置いた事がある。」と申しました。そうしてそれから、第二の私が三度まで私の眼を遮《さえぎ》った話を、出来るだけ詳しく話しました。「世間の噂も、己の考えでは、誰か第二の己が第二のお前と一しょにいるのを見て、それから捏造《ねつぞう》したものらしい。己は固くお前を信じている。その代りお前も己を信じてくれ。」私はその後で、こう力を入れてつけ加えました。しかし、妻は、弱い女の身として、世間の疑の的になると云う事が、如何《いか》にも切《せつ》ないのでございましょう。あるいはまた、ドッペルゲンゲルと云う現象が、その疑を解くためには余りに異常すぎたせいもあるのに相違ございません。妻は私の枕もとで
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