ざる。よって翁は下賤《げせん》の悲しさに、御身《おんみ》近うまいる事もかない申さぬ。今宵は――」と云いかけながら、急に皮肉な調子になって、「今宵は、御行水《ごぎょうずい》も遊ばされず、且つ女人《にょにん》の肌に触れられての御誦経《ごずきょう》でござれば、諸々《もろもろ》の仏神も不浄を忌《い》んで、このあたりへは現《げん》ぜられぬげに見え申した。されば、翁も心安う見参《げんざん》に入り、聴聞の御礼申そう便宜を、得たのでござる。」
「何とな。」
道命阿闍梨《どうみょうあざり》は、不機嫌らしく声をとがらせた。道祖神《さえのかみ》は、それにも気のつかない容子《ようす》で、
「されば、恵心《えしん》の御房《ごぼう》も、念仏読経|四威儀《しいぎ》を破る事なかれと仰せられた。翁の果報《かほう》は、やがて御房の堕獄《だごく》の悪趣と思召され、向後《こうご》は……」
「黙れ。」
阿闍梨は、手頸《てくび》にかけた水晶の念珠をまさぐりながら、鋭く翁の顔を一眄《いちべん》した。
「不肖ながら道命は、あらゆる経文論釈に眼《まなこ》を曝した。凡百《ぼんびゃく》の戒行徳目《かいぎょうとくもく》も修せなんだものはない。その方《ほう》づれの申す事に気がつかぬうつけと思うか。」――が、道祖神《さえのかみ》は答えない。切り燈台のかげに蹲《うずくま》ったまま、じっと頭を垂れて、阿闍梨の語《ことば》を、聞きすましているようである。
「よう聞けよ。生死即涅槃《しょうじそくねはん》と云い、煩悩即菩提《ぼんのうそくぼだい》と云うは、悉く己《おの》が身の仏性《ぶっしょう》を観ずると云う意《こころ》じゃ。己が肉身は、三身即一の本覚如来《ほんがくにょらい》、煩悩|業苦《ごうく》の三道は、法身般若外脱《ほっしんはんにゃげだつ》の三徳、娑婆《しゃば》世界は常寂光土《じょうじゃつこうど》にひとしい。道命は無戒の比丘《びく》じゃが、既に三観三諦即一心《さんかんさんたいそくいつしん》の醍醐味《だいごみ》を味得《みとく》した。よって、和泉式部《いずみしきぶ》も、道命が眼《まなこ》には麻耶夫人《まやふじん》じゃ。男女《なんにょ》の交会も万善《ばんぜん》の功徳《くどく》じゃ。われらが寝所には、久遠本地《くおんほんじ》の諸法、無作法身《むさほっしん》の諸仏等、悉く影顕《えいげん》し給うぞよ。されば、道命が住所は霊鷲宝土《りょうじゅほうど》じゃ。その方づれ如き、小乗臭糞《しょうじょうしゅうふん》の持戒者が、妄《みだり》に足を容《い》るべきの仏国でない。」
こう云って阿闍梨は容《かたち》をあらためると、水晶の念珠を振って、苦々《にがにが》しげに叱りつけた。
「業畜《ごうちく》、急々に退《の》き居ろう。」
すると、翁《おきな》は、黄いろい紙の扇を開いて、顔をさしかくすように思われたが、見る見る、影が薄くなって、蛍《ほたる》ほどになった切り燈台の火と共に、消えるともなく、ふっと消える――と、遠くでかすかながら、勇ましい一番鶏《いちばんどり》の声がした。
「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく」時が来たのである。
[#地から1字上げ](大正五年十二月十三日)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月7日修正
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