てくれる。玄関の東側には廊下《らうか》があり、その廊下の欄干《らんかん》の外《そと》には、冬を知らない木賊《とくさ》の色が一面に庭を埋《うづ》めてゐるが、客間の硝子《ガラス》戸を洩《も》れる電燈の光も、今は其処《そこ》までは照らしてゐない。いや、その光がさしてゐるだけに、向うの軒先に吊《つる》した風鐸《ふうたく》の影も、反《かへ》つて濃くなつた宵闇《よひやみ》の中に隠されてゐる位である。
 硝子《ガラス》戸から客間を覗《のぞ》いて見ると、雨漏《あまも》りの痕《あと》と鼠の食つた穴とが、白い紙張りの天井《てんじやう》に斑々《はんぱん》とまだ残つてゐる。が、十畳の座敷には、赤い五羽鶴《ごはづる》の毯《たん》が敷いてあるから、畳の古びだけは分明《ぶんみやう》でない。この客間の西側(玄関寄り)には、更紗《さらさ》の唐紙《からかみ》が二枚あつて、その一枚の上に古色《こしよく》を帯びた壁懸けが一つ下つてゐる。麻の地に黄色に百合《ゆり》のやうな花を繍《ぬひと》つたのは、津田青楓《つだせいふう》氏か何かの図案らしい。この唐紙《からかみ》の左右の壁際《かべぎは》には、余り上等でない硝子戸の本箱があつて、その何段かの棚の上にはぎつしり洋書が詰まつてゐる。それから廊下に接した南側には、殺風景《さつぷうけい》な鉄格子《てつがうし》の西洋窓の前に大きな紫檀《したん》の机を据ゑて、その上に硯《すずり》や筆立てが、紙絹《しけん》の類や法帖《ほふでふ》と一しよに、存外《ぞんぐわい》行儀《ぎやうぎ》よく並べてある。その窓を剰《あま》した南側の壁と向うの北側の壁とには、殆《ほとん》ど軸の挂《か》かつてゐなかつた事がない。蔵沢《ざうたく》の墨竹《ぼくちく》が黄興《くわうこう》の「文章千古事《ぶんしやうせんこのこと》」と挨拶《あいさつ》をしてゐる事もある。木庵《もくあん》の「花開万国春《はなひらくばんこくのはる》」が呉昌蹟《ごしやうせき》の木蓮《もくれん》と鉢合《はちあは》せをしてゐる事もある。が、客間を飾つてゐる書画は独りこれらの軸ばかりではない。西側の壁には安井曾太郎《やすゐそうたらう》氏の油絵の風景画が、東側の壁には斎藤与里《さいとうより》氏の油絵の艸花《くさばな》が、さうして又北側の壁には明月禅師《めいげつぜんじ》の無絃琴《むげんきん》と云ふ艸書《さうしよ》の横物《よこもの》が、いづれも額になつて
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