たのに違いない。伝吉は平四郎に追われながら、父のいる山畠《やまばた》へ逃げのぼった。父の伝三はたった一人《ひとり》山畠の桑の手入れをしていた。が、子供の危急《ききゅう》を知ると、芋《いも》の穴の中へ伝吉を隠した。芋の穴と云うのは芋を囲《かこ》う一畳敷ばかりの土室《つちむろ》である。伝吉はその穴の中に俵の藁《わら》をかぶったまま、じっと息をひそめていた。
「平四郎たちまち追い至り、『老爺《おやじ》、老爺、小僧はどちへ行ったぞ』と尋ねけるに、伝三もとよりしたたかものなりければ、『あの道を走り行き候』とぞ欺《あざむ》きける。平四郎その方《ほう》へ追い行かんとせしが、ふと伝三の舌を吐《は》きたるを見咎《みとが》め、『土百姓《どびゃくしょう》めが、大胆《だいたん》にも□□□□□□□□□□□(虫食いのために読み難し)とて伝三を足蹴《あしげ》にかけければ、不敵の伝三腹を据《す》え兼ね、あり合う鍬《くわ》をとるより早く、いざさらば土百姓の腕を見せんとぞ息まきける。
「いずれ劣らぬ曲者《くせもの》ゆえ、しばく(シの誤か)は必死に打ち合いけるが、……
「平四郎さすがに手だれなりければ、思うままに伝三を疲らせつつ、打ちかくる鍬を引きはずすよと見る間《ま》に、伝三の肩さきへ一太刀《ひとたち》浴びせ、……
「逃げんとするを逃がしもやらず、拝《おが》み打ちに打ち放し、……
「伝吉のありかには気づかずありけん、悠々と刀など押し拭い、いずこともなく立ち去りけり。」(旅硯《たびすずり》)
 脳貧血《のうひんけつ》を起した伝吉のやっと穴の外へ這《は》い出した時には、もうただ芽をふいた桑の根がたに伝三の死骸《しがい》のあるばかりだった。伝吉は死骸にとりすがったなり、いつまでも一人じっとしていたが、涙は不思議にも全然|睫毛《まつげ》を沾《うるお》さなかった。その代りにある感情の火のように心を焦《こ》がすのを感じた。それは父を見殺しにした彼自身に対する怒だった。理が非でも仇《あだ》を返さなければ消えることを知らない怒だった。
 その後《ご》の伝吉の一生はほとんどこの怒のために終始したと云ってもよい。伝吉は父を葬《ほうむ》った後《のち》、長窪《ながくぼ》にいる叔父《おじ》のもとに下男《げなん》同様に住みこむことになった。叔父は枡屋善作《ますやぜんさく》(一説によれば善兵衛《ぜんべえ》)と云う、才覚《さいかく》
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