になりながら、
「何でかばふ。その猿は柑子盜人《かうじぬすびと》だぞ。」
「畜生でございますから、……」
娘はもう一度かう繰返しましたがやがて寂しさうにほほ笑みますと、
「それに良秀と申しますと、父が御折檻を受けますやうで、どうも唯見ては居られませぬ。」と、思ひ切つたやうに申すのでございます。これには流石の若殿樣も、我《が》を御折りになつたのでございませう。
「さうか。父親の命乞《いのちごひ》なら、枉げて赦してとらすとしよう。」
不承無承にかう仰有ると、楚《すばえ》をそこへ御捨てになつて、元いらしつた遣戸の方へ、その儘御歸りになつてしまひました。
三
良秀の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。娘は御姫樣から頂戴した黄金の鈴を、美しい眞紅《しんく》の紐に下げて、それを猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身のまはりを離れません。或時娘の風邪《かぜ》の心地で、床に就きました時なども、小猿はちやんとその枕もとに坐りこんで、氣のせゐか心細さうな顏をしながら、頻に爪を噛んで居りました。
かうなると又妙なもので、誰も今までのやうにこの小猿を、いぢめるものはございません。いや、反つてだん/\可愛がり始めて、しまひには若殿樣でさへ、時々柿や栗を投げて御やりになつたばかりか、侍の誰やらがこの猿を足蹴にした時なぞは、大層御立腹にもなつたさうでございます。その後大殿樣がわざ/\良秀の娘に猿を抱いて、御前へ出るやうと御沙汰になつたのも、この若殿樣の御腹立になつた話を、御聞きになつてからだとか申しました。その序に自然と娘の猿を可愛がる所由《いはれ》も御耳にはいつたのでございませう。
「孝行な奴ぢや。褒めてとらすぞ。」
かやうな御意で、娘はその時、紅《くれなゐ》の袙《あこめ》を御褒美に頂きました。所がこの袙を又見やう見眞似に、猿が恭しく押頂きましたので、大殿樣の御機嫌は、一入よろしかつたさうでございます。でございますから、大殿樣が良秀の娘御を贔屓になつたのは、全くこの猿を可愛がつた[#「可愛がつた」は底本では「可愛かつた」]、孝行恩愛の情を御賞美なすつたので、決して世間で兎や角申しますやうに、色を御好みになつた譯ではございません。尤もかやうな噂の立ちました起りも、無理のない所がございますが、それは又後になつて、
前へ
次へ
全30ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング