ません。
 が、その中でも殊に一つ目立つて凄じく見えるのは、まるで獸《けもの》の牙のやうな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢にも、多くの亡者が※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]々と、五體を貫《つらぬ》かれて居りましたが)中空《なかぞら》から落ちて來る一輛の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾《すだれ》の中には、女御、更衣にもまがふばかり、綺羅びやかに裝つた女房が、丈の黒髮を炎の中になびかせて、白い頸《うなじ》を反《そ》らせながら、悶え苦しんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦を偲ばせないものはございません。云はゞ廣い畫面の恐ろしさが、この一人の人物に輳《あつま》つてゐるとでも申しませうか。これを見るものゝ耳の底には、自然と物凄い叫喚の聲が傳はつて來るかと疑ふ程、入神の出來映えでございました。
 あゝ、これでございます、これを描く爲めに、あの恐ろしい出來事が起つたのでございます。又さもなければ如何に良秀でも、どうしてかやうに生々《いき/\》と奈落の苦艱が畫かれませう。あの男はこの屏風の繪を仕上げた代りに、命さへも捨てるやうな、無慘な目に出遇ひました。云はゞこの繪の地獄は、本朝第一の繪師良秀が、自分で何時か墮ちて行く地獄だつたのでございます。……
 私はあの珍しい地獄變の屏風の事を申上げますのを急いだあまりに、或は御話の順序を顛倒致したかも知れません。が、これから又引き續いて、大殿樣から地獄繪を描けと申す仰せを受けた良秀の事に移りませう。

       七

 良秀はそれから五六箇月の間、まるで御邸へも伺はないで、屏風の繪にばかりかゝつて居りました。あれ程の子煩惱がいざ繪を描くと云ふ段になりますと、娘の顏を見る氣もなくなると申すのではございますから、不思議なものではございませんか。先刻申し上げました弟子の話では、何でもあの男は仕事にとりかゝりますと、まるで狐でも憑《つ》いたやうになるらしうございます。いや實際當時の風評に、良秀が畫道で名を成したのは、福徳の大神《おほかみ》に祈誓をかけたからで、その證據にはあの男が繪を描いてゐる所を、そつと物陰《ものかげ》から覗いて見ると必ず陰々として靈狐の姿が、一匹ならず前後左右に、群つてゐるのが見えるなどと申す者もございました。そ
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