いますから、その頃洛中の老若男女が、大殿様と申しますと、まるで権者《ごんじや》の再来のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。何時ぞや、内の梅花の宴からの御帰りに御車の牛が放れて、折から通りかゝつた老人に怪我をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿様の牛にかけられた事を難有がつたと申す事でございます。
さやうな次第でございますから、大殿様御一代の間には、後々までも語り草になりますやうな事が、随分沢山にございました。大饗《おほみうけ》の引出物に白馬《あをうま》ばかりを三十頭、賜《たまは》つたこともございますし、長良《ながら》の橋の橋柱《はしばしら》に御寵愛の童《わらべ》を立てた事もございますし、それから又|華陀《くわだ》の術を伝へた震旦《しんたん》の僧に、御腿《おんもゝ》の瘡《もがさ》を御切らせになつた事もございますし、――一々数へ立てゝ居りましては、とても際限がございません。が、その数多い御逸事の中でも、今では御家の重宝になつて居ります地獄変の屏風の由来程、恐ろしい話はございますまい。日頃は物に御騒ぎにならない大殿様でさへ、あの時ばかりは、流石《さすが》に御驚きに
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