すから不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛びまはる数の知れない夜鳥でさへ、気のせゐか良秀の揉烏帽子のまはりへは、近づかなかつたやうでございます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、円光の如く懸つてゐる、不可思議な威厳が見えたのでございませう。
 鳥でさへさうでございます。まして私たちは仕丁までも、皆息をひそめながら、身の内も震へるばかり、異様な随喜の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏でも見るやうに、眼も離さず、良秀を見つめました。空一面に鳴り渡る車の火と、それに魂を奪はれて、立ちすくんでゐる良秀と――何と云ふ荘厳、何と云ふ歓喜でございませう。が、その中でたつた一人、[#「たつた一人、」は底本では「たつた、」]御縁の上の大殿様だけは、まるで別人かと思はれる程、御顔の色も青ざめて、口元に泡を御ためになりながら、紫の指貫《さしぬき》の膝を両手にしつかり御つかみになつて、丁度喉の渇いた獣のやうに喘《あへ》ぎつゞけていらつしやいました。……

       二十

 その夜雪解の御所で、大殿様が車を御焼きになつた事は、誰の口からともなく世上へ洩れましたが、それに就いては随分いろ/\な批判を致すものも居つたやうでございます。先《まづ》第一に何故《なぜ》大殿様が良秀の娘を御焼き殺しなすつたか、――これは、かなはぬ恋の恨みからなすつたのだと云ふ噂が、一番多うございました。が、大殿様の思召しは、全く車を焼き人を殺してまでも、屏風の画を描かうとする絵師根性の曲《よこしま》なのを懲らす御心算《おつもり》だつたのに相違ございません。現に私は、大殿様が御口づからさう仰有《おつしや》るのを伺つた事さへございます。
 それからあの良秀が、目前で娘を焼き殺されながら、それでも屏風の画を描きたいと云ふその木石のやうな心もちが、やはり何かとあげつらはれたやうでございます。中にはあの男を罵《のゝし》つて、画の為には親子の情愛も忘れてしまふ、人面獣心の曲者《くせもの》だなどと申すものもございました。あの横川《よがは》の僧都様などは、かう云ふ考へに味方をなすつた御一人で、「如何に一芸一能に秀でやうとも、人として五常を弁《わきま》へねば、地獄に堕ちる外はない」などと、よく仰有つたものでございます。
 所がその後一月ばかり経《た》つて、愈々地獄変の屏風が出来上りますと良秀は早速それを御邸へ持つて出て、恭し
前へ 次へ
全30ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング