って仕方がない。そのほか象牙《ぞうげ》の箸《はし》とか、青銅の火箸とか云う先の尖《とが》った物を見ても、やはり不安になって来る。しまいには、畳の縁《へり》の交叉した角《かど》や、天井の四隅《よすみ》までが、丁度|刃物《はもの》を見つめている時のような切ない神経の緊張を、感じさせるようになった。
 修理《しゅり》は、止むを得ず、毎日陰気な顔をして、じっと居間にいすくまっていた。何をどうするのも苦しい。出来る事なら、このまま存在の意識もなくなしてしまいたいと思う事が、度々ある。が、それは、ささくれた[#「ささくれた」に傍点]神経の方で、許さない。彼は、蟻地獄《ありじごく》に落ちた蟻のような、いら立たしい心で、彼の周囲を見まわした。しかも、そこにあるのは、彼の心もちに何の理解もない、徒《いたずら》に万一を惧《おそ》れている「譜代《ふだい》の臣」ばかりである。「己《おれ》は苦しんでいる。が、誰も己の苦しみを察してくれるものがない。」――そう思う事が、既に彼には一倍の苦痛であった。
 修理の神経衰弱は、この周囲の無理解のために、一層昂進の度を早めたらしい。彼は、事毎《ことごと》に興奮した。隣屋敷
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