さい》がなくては、妄《みだり》に主家《しゅか》を駈落ちなどする男ではない。こう思ったから、佐渡守は、その仔細を尋ねると同時に、本家からの附人《つけびと》にどう云う間違いが起っても、親類中へ相談なり、知らせなりしないのは、穏《おだやか》でない旨を忠告した。ところが、修理は、これを聞くと、眼の色を変えながら、刀の柄《つか》へ手をかけて、「佐渡守殿は、別して、林右衛門めを贔屓《ひいき》にせられるようでござるが、手前家来の仕置は、不肖ながら手前一存で取計らい申す。如何に当時|出頭《しゅっとう》の若年寄でも、いらぬ世話はお置きなされい。」と云う口上である。そこでさすがの佐渡守も、あまりの事に呆《あき》れ返って、御用繁多を幸に、早速その場を外《はず》してしまった。――
「よいか。」ここまで話して来て、佐渡守は、今更のように、苦い顔をした。
――第一に、林右衛門の立ち退いた趣を、一門衆へ通達しないのは、宇左衛門の罪である。第二に、まだ逆上の気味のある修理を、登城させたのも、やはり彼の責を免れない。佐渡守だったから、いいが、もし今日のような雑言《ぞうごん》を、列座の大名衆にでも云ったとしたら、板倉家七千石は、忽《たちま》ち、改易《かいえき》になってしまう。――
「そこでじゃ。今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」
佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。
「唯《た》だ主《しゅう》につれて、その方まで逆上しそうなのが、心配じゃ。よいか。きっと申しつけたぞ。」
宇左衛門は眉をひそめながら、思切った声で答えた。
「よろしゅうござりまする、しかと向後《こうご》は慎むでございましょう。」
「おお、二度と過《あやまち》をせぬのが、何よりじゃ。」
佐渡守は、吐き出すように、こう云った。
「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」
彼は、眼に涙をためながら懇願するように、佐渡守を見た。が、その眼の中には、哀憐《あいれん》を請う情と共に、犯し難い決心の色が、浮んでいる。――必ず修理の他出を、禁ずる事が出来ると云う決心ではない。禁ずる事が出来なかったら、どうすると云う、決心である。
佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒臭そうに、横を向いた。
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