きやがれ。」
と声色《こわいろ》にしちや語呂の悪い、啖呵《たんか》を切り出した所は豪勢だがの、面《つら》を見りや寒いと見えて、水《みづ》つ洟《ぱな》が鼻の下に光つてゐる。おまけにおれのなぐつた所が、小鬢《こびん》の禿から顋へかけて、まるで面が歪《ゆが》んだやうに、脹《は》れ上つてゐようと云ふものだ。が、それでも田舎者《ゐなかもの》にや、あの野郎のぽんぽん云ふ事が、ちつとは効き目があつたのだらう。あいつが乙に反り身になつて、餓鬼の時から悪事を覚えた行き立てを饒舌《しやべ》つてゐる内にや、雷獣を手捕りにしたとか云ふ、髭のぢぢむせえ馬子半天も、追々あの胡麻の蠅を胴突《どつ》かなくなつて来たぢや無えか。それを見るとあの野郎め、愈《いよいよ》しやくんだ顋を振りの、三人の奴らをねめまはして、
「へん、このごつぽう人めら、手前《てめえ》たちを怖はがるやうな、よいよいだとでも思やがつたか。いんにやさ。唯の胡麻の蠅だと思ふと、相手が違ふぞ。手前たちも覚えてゐるだらうが、去年の秋の嵐の晩に、この宿《しゆく》の庄屋へ忍びこみの、有り金を残らず掻《か》つ攫《さら》つたのは、誰でも無えこのおれだ。」
「うぬが、あの庄屋様へ、――」
かう云つたのは、番頭ばかりぢや無え。火吹竹を持つた若え者も、さすがに肝をつぶしたと見えて、思はず大きな声を出しながら、二足三足後へ下りやがつた。
「さうよ。そんな仕事に驚くやうぢや、手前たちはまだ甘えものだ。かう、よく聞けよ。ついこの中《ぢゆう》も小仏峠で、金飛脚《かねびきやく》が二人殺されたのは、誰の仕業だと思やがる。」
あの野郎は水《みづ》つ洟《ぱな》をすすりこんぢや、やれ府中で土蔵を破つたの、やれ日野宿でつけ火をしたの、やれ厚木街道の山の中で巡礼の女をなぐさんだの、だんだん途方も無え悪事を饒舌《しやべ》り立てたが、妙な事にやそれにつれて、番頭始め二人の野郎が、何時の間にかあの木念人へ慇懃《いんぎん》になつて来やがつた。中でも図体の大きな馬子半天が、莫迦力《ばかぢから》のありさうな腕を組んで、まじまじあの野郎の面を眺めながら、
「お前さんと云ふ人は、何たる又悪党だんべい。」
と唸るやうな声を出した時にや、おれは可笑しさがこみ上げての、あぶなく吹き出す所だつた。ましてあの胡麻の蠅が、もう酔もさめたのだらう、如何にも寒さうな顔色で、歯の根も合は無え程ふるへ
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