を目測しているらしかったが、急に二三歩汀を去ると、まるで石投げを離れた石のように、勢いよくそこを飛び越えようとした。が、今度はとうとう飛び損じて、凄《すさま》じい水煙を立てながら、まっさかさまに深みへ落ちこんでしまった。
 彼の河へ落ちた所は、ほかの若者たちがいる所と大して離れていなかった。だから彼の失敗はすぐに彼等の目にもはいった。彼等のある者はこれを見ると、「ざまを見ろ」と云うように腹を抱えて笑い出した。と同時にまたある者は、やはり囃《はや》し立てながらも、以前よりは遥《はるか》に同情のある声援の言葉を与えたりした。そう云う好意のある連中の中には、あの精巧な勾玉や釧の美しさを誇っている若者なども交《まじ》っていた。彼等は彼の失敗のために、世間一般の弱者のごとく、始めて彼に幾分の親しみを持つ事が出来たのであった。が、彼等も一瞬の後には、また以前の沈黙に――敵意を蔵した沈黙に還《かえ》らなければならない事が出来た。
 と云うのは河に落ちた彼が、濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》のようになったまま、向うの汀へ這い上ったと思うと、執念深《しゅうねんぶか》くもう一度その幅の広い流れの上を飛び越えようとしたからであった。いや、飛び越えようとしたばかりではない。彼は足を縮《ちぢ》めながら、明礬色《みょうばんいろ》の水の上へ踊り上ったと思う内に、難なくそこを飛び越えた。そうしてこちらの水際《みぎわ》へ、雲のような砂煙を舞い上げながら、どさりと大きな尻餅《しりもち》をついた。それは彼等の笑を買うべく、余りに壮厳すぎる滑稽であった。勿論彼等の間からは、喝采も歓呼も起らなかった。
 彼は手足の砂を払うと、やっとずぶ濡れになった体を起して、仲間の若者たちの方を眺めやった。が、彼等はもうその時には、流れを飛び越えるのにも飽きたと見えて、また何か新しい力競《ちからくら》べを試むべく、面白そうに笑い興じながら、河上《かわかみ》の方へ急ぐ所であった。それでもまだ容貌の醜い若者は、快活な心もちを失わなかった。と云うよりも失う筈がなかった。何故《なぜ》と云えば彼等の不快は未《いまだ》に彼には通じなかった。彼はこう云う点になると、実際どこまでも御目出度《おめでた》く出来上った人間の一人であった。しかしまたその御目出度さがあらゆる強者に特有な烙印《やきいん》である事も事実であった。だから仲間の若者たちが河上の方へ行くのを見ると、彼はまだ滴《しずく》を垂らしたまま、麗《うら》らかな春の日に目《ま》かげをして、のそのそ砂の上を歩き出した。
 その間にほかの若者たちは、河原《かわら》に散在する巌石《がんせき》を持上げ合う遊戯《ゆうぎ》を始めていた。岩は牛ほどの大きさのも、羊ほどの小ささのも、いろいろ陽炎《かげろう》の中に転がっていた。彼等はみんな腕まくりをして、なるべく大きい岩を抱《だ》き起そうとした。が、手ごろな巌石のほかは、中でも膂力《りょりょく》の逞《たくま》しい五六人の若者たちでないと、容易に砂から離れなかった。そこでこの力競べは、自然と彼等五六人の独占する遊戯に変ってしまった。彼等はいずれも大きな岩を軽々と擡《もた》げたり投げたりした。殊に赤と白と三角模様の倭衣《しずり》の袖《そで》をまくり上げた、顔中《かおじゅう》鬚《ひげ》に埋《うず》まっている、背《せい》の低い猪首《いくび》の若者は、誰も持ち上げない巌石を自由に動かして見せた。周囲に佇《たたず》んだ若者たちは、彼の非凡な力業《ちからわざ》に賞讃の声を惜まなかった。彼もまたその賞讃の声に報ゆべく、次第に大きな巌石に力を試みようとするらしかった。
 あの容貌の醜い若者は、ちょうどこの五六人の力競《ちからくらべ》の真最中へ来合せたのであった。

        三

 あの容貌の醜い若者は、両腕を胸に組んだまま、しばらくは力自慢の五六人が勝負を争うのを眺めていた。が、やがて技癢《ぎよう》に堪え兼ねたのか、自分も水だらけな袖をまくると、幅の広い肩を聳《そびや》かせて、まるで洞穴《ほらあな》を出る熊のように、のそのそとその連中の中へはいって行った。そうしてまだ誰も持ち上げない巌石の一つを抱くが早いか、何の苦もなくその岩を肩の上までさし上げて見せた。
 しかし大勢の若者たちは、依然として彼には冷淡であった。ただ、その中でもさっきから賞讃の声を浴びていた、背の低い猪首の若者だけは、容易ならない競争者が現れた事を知ったと見えて、さすがに妬《ねた》ましそうな流し眼をじろじろ彼の方へ注いでいた。その内に彼は担《かつ》いだ岩を肩の上で一揺《ひとゆす》り揺ってから、人のいない向うの砂の上へ勢いよくどうと投げ落した。するとあの猪首の若者はちょうど餌に饑《う》えた虎のように、猛然と身を躍らせながら、その巌石へ飛びかかったと思うと、咄嗟《とっさ
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