「妹たちは大勢いるのか。」
「十六人居ります。――ただ今姥が知らせに参りましたから、その内に皆御眼にかかりに、出て参るでございましょう。」
成程《なるほど》そう云われて見れば、あの猿のような老婆の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。
二十六
素戔嗚《すさのお》は膝を抱えたまま、洞外をどよもす風雨の音にぼんやり耳を傾けていた。すると女は炉の中へ、新に焚き木を加えながら、
「あの――御名前は何とおっしゃいますか。私は大気都姫《おおけつひめ》と申しますが。」と云った。
「おれは素戔嗚だ。」
彼がこう名乗った時、大気都姫は驚いた眼を挙げて、今更のようにこの無様《ぶざま》な若者を眺めた。素戔嗚の名は彼女の耳にも、明かに熟しているようであった。
「では今まではあの山の向うの、高天原《たかまがはら》の国にいらしったのでございますか。」
彼は黙って頷《うなず》いた。
「高天原の国は、好《よ》い所だと申すではございませんか。」
この言葉を聞くと共に、一時静まっていた心頭《しんとう》の怒火《どか》が、また彼の眼の中に燃えあがった。
「高天原の国か。高天原の国は、鼠が猪《いのしし》よりも強い所だ。」
大気都姫は微笑した。その拍子《ひょうし》に美しい歯が、鮮《あざやか》に火の光に映って見えた。
「ここは何と云う所だ?」
彼は強いて冷かに、こう話頭を転換した。が、彼女は微笑を含んで、彼の逞《たくま》しい肩のあたりへじっと眼を注いだまま、何ともその問に答えなかった。彼は苛立《いらだ》たしい眉《まゆ》を動かして、もう一度同じ事を繰返した。大気都姫は始めて我に返ったように、滴《したた》るような媚《こび》を眼に浮べて、
「ここでございますか。ここは――ここは猪が鼠より強い所でございます。」と答えた。
その時|俄《にわか》に人のけはいがして、あの老婆を先頭に、十五人の若い女たちが、風雨にめげた気色《けしき》もなく、ぞろぞろ洞穴《ほらあな》の中へはいって来た。彼等は皆頬に紅《くれない》をさして、高々と黒髪を束《つか》ねていた。それが順々に大気都姫《おおけつひめ》と、親しそうな挨拶《あいさつ》を交換すると、呆気《あっけ》にとられた彼のまわりへ、馴《な》れ馴れしく手《て》ん手《で》に席を占めた。頸珠《くびだま》の色、耳環《みみわ》の光、それから着物の絹ずれの音、――洞
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