》く盛られたまま、彼の前に並べられた。若い女は瓶《ほたり》を執って、彼に酒を勧《すす》むべく、炉のほとりへ坐りに来た。目近《まじか》に坐っているのを見れば、色の白い、髪の豊な、愛嬌《あいきょう》のある女であった。
 彼は獣《けもの》のように、飮んだり食ったりした。盤や坏は見る見る内に、一つ残らず空《から》になった。女は健啖《けんたん》な彼を眺めながら子供のように微笑していた。彼に刀子《とうす》を加えようとした、以前の慓悍《ひょうかん》な気色《けしき》などは、どこを探しても見えなかった。
「さあ、これで腹は出来た。今度は着る物を一枚くれい。」
 彼は食事をすませると、こう云って、大きな欠伸《あくび》をした。女は洞穴《ほらあな》の奥へ行って、絹の着物を持って来た。それは今まで彼の見た事のない、精巧な織模様のある着物であった。彼は身仕度をすませると、壁の上の武器の中から、頭椎《かぶつち》の剣《つるぎ》を一振《ひとふり》とって、左の腰に結び下げた。それからまた炉の火の前へ行って、さっきのようにあぐらを掻《か》いた。
「何かまだ御用がございますか。」
 しばらくの後、女はまた側へ来て、ためらうような尋ね方をした。
「おれは主人の帰るのを待っているのだ。」
「待って、――どうなさるのでございますか。」
「太刀打《たちうち》をしようと思うのだ。おれは女を劫《おびやか》して、盗人を働いたなどとは云われたくない。」
 女は顔にかかる髪を掻き上げながら、鮮《あざやか》な微笑を浮べて見せた。「それでは御待ちになるがものはございません。私がこの洞穴の主人なのでございますから。」
 素戔嗚は意外の感に打たれて、思わず眼を大きくした。
「男は一人もいないのか。」
「一人も居りません。」
「この近くの洞穴には?」
「皆|私《わたくし》の妹たちが、二三人ずつ住んで居ります。」
 彼は顔をしかめたまま二三度頭を強く振った。火の光、床《ゆか》の毛皮、それから壁上の太刀《たち》や剣《つるぎ》、――すべてが彼には、怪しげな幻のような心もちがした。殊にこの若い女は、きらびやかな頸珠《くびだま》や剣を飾っているだけに、余計人間離れのした、山媛《やまひめ》のような気がするのであった。しかし風雨の森林を長い間さまよった後《のち》この危害の惧《おそれ》のない、暖な洞穴に坐っているのは、とにかく快いには違いなかった。
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