た。
「それがこの男の頸《くび》に懸っているのは一体どうした始末なのだ?」
 素戔嗚はあの美貌の若者へ、燃えるような瞳《ひとみ》を移した。が、彼はやはり藁の中に、気を失ったのか、仮死《そらじに》か、眼を閉じたまま倒れていた。
「渡したと云うのは嘘か?」
「いえ、嘘じゃありません。ほんとうです。ほんとうです。」
 牛飼いの若者は、始めて必死の声を出した。
「ほんとうですが、――ですが、実はあの琅※[#「王へん+干」、第3水準1−87−83]《ろうかん》の代りに、珊瑚《さんご》の――その管玉《くだたま》を……」
「どうしてまたそんな真似《まね》をしたのだ?」
 素戔嗚の声は雷《いかずち》のごとく、度《ど》を失った若者の心を一言毎《ひとことごと》に打ち砕いた。彼はとうとうしどろもどろに、美貌の若者が勧《すす》める通り、琅※[#「王へん+干」、第3水準1−87−83]と珊瑚と取り換えた上、礼には黒馬を貰った事まで残りなく白状してしまった。その話を聞いている内に、刻々素戔嗚の心の中《うち》には、泣きたいような、叫びたいような息苦しい羞憤《しゅうふん》の念が、大風のごとく昂《たか》まって来た。
「そうしてその玉は渡したのだな。」
「渡しました。渡しましたが――」
 若者は逡巡《しゅんじゅん》した。
「渡しましたが――あの娘は――何しろああ云う娘ですし、――白鳥《はくちょう》は山鴉《やまがらす》になどと――、失礼な口上ですが、――受け取らないと申し――」
 若者は皆まで云わない内に、仰向けにどうと蹴倒《けたお》された。蹴倒されたと思うと、大きな拳《こぶし》がしたたか彼の頭を打った。その拍子に燈火《ともしび》の盞《さら》が落ちて、あたりの床《ゆか》に乱れた藁《わら》は、たちまち、一面の炎になった。牛飼いの若者はその火に毛脛《けずね》を焼かれながら、悲鳴を挙げて飛び起きると、無我夢中に高這《たかば》いをして、裏手の方へ逃げ出そうとした。
 怒り狂った素戔嗚は、まるで傷《きずつ》いた猪《いのしし》のように、猛然とその後から飛びかかった。いや、将《まさ》に飛びかかろうとした時、今度は足もとに倒れていた、美貌の若者が身を起すと、これも死物狂に剣《つるぎ》を抜いて、火の中《うち》に片膝ついたまま、いきなり彼の足を払おうとした。

        二十一

 その剣の光を見ると、突然|素戔嗚《
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