だ両親を憎んだ。殊に彼よりも背の低い、頭の禿《は》げた父を憎んだ。父は度たび学校の保証人会議に出席した。信輔は彼の友だちの前にこう言う父を見ることを恥じた。同時にまた肉身の父を恥じる彼自身の心の卑しさを恥じた。国木田独歩を模倣した彼の「自ら欺かざるの記」はその黄ばんだ罫紙《けいし》の一枚にこう言う一節を残している。――
「予は父母を愛する能《あた》はず。否、愛する能はざるに非《あら》ず。父母その人は愛すれども、父母の外見を愛する能はず。貌《かたち》を以《もつ》て人を取るは君子の恥づる所也。況《いはん》や父母の貌を云々《うんぬん》するをや。然《しか》れども予は如何にするも父母の外見を愛する能はず。……」
けれどもこう言う見すぼらしさよりも更に彼の憎んだのは貧困に発した偽りだった。母は「風月」の菓子折につめたカステラを親戚《しんせき》に進物にした。が、その中味は「風月」所か、近所の菓子屋のカステラだった。父も、――如何に父は真事《まこと》しやかに「勤倹尚武」を教えたであろう。父の教えた所によれば、古い一冊の玉篇の外に漢和辞典を買うことさえ、やはり「奢侈文弱《しゃしぶんじゃく》」だった!
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