らけの帯を隠していた。信輔も――信輔は未だにニスの臭い彼の机を覚えている。机は古いのを買ったものの、上へ張った緑色の羅紗《ラシャ》も、銀色に光った抽斗《ひきだし》の金具も一見|小綺麗《こぎれい》に出来上っていた。が、実は羅紗も薄いし、抽斗も素直にあいたことはなかった。これは彼の机よりも彼の家の象徴だった。体裁だけはいつも繕わなければならぬ彼の家の生活の象徴だった。………
 信輔はこの貧困を憎んだ。いや、今もなお当時の憎悪は彼の心の奥底に消し難い反響を残している。彼は本を買われなかった。夏期学校へも行かれなかった。新らしい外套《がいとう》も着られなかった。が、彼の友だちはいずれもそれ等を受用していた。彼は彼等を羨《うらや》んだ。時には彼等を妬《ねた》みさえした。しかしその嫉妬や羨望を自認することは肯《がえん》じなかった。それは彼等の才能を軽蔑している為だった。けれども貧困に対する憎悪は少しもその為に変らなかった。彼は古畳を、薄暗いランプを、蔦《つた》の画の剥《は》げかかった唐紙《からかみ》を、――あらゆる家庭の見すぼらしさを憎んだ。が、それはまだ好かった。彼は只見すぼらしさの為に彼を生ん
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