輔は大溝を前にすると、もう膝頭《ひざがしら》の震えるのを感じた。けれどもしっかり目をつぶったまま、南京藻《なんきんも》の浮かんだ水面を一生懸命に跳《おど》り越えた。この恐怖や逡巡《しゅんじゅん》は回向院の大銀杏へ登る時にも、彼等の一人と喧嘩をする時にもやはり彼を襲来した。しかし彼はその度に勇敢にそれ等を征服した。それは迷信に発したにもせよ、確かにスパルタ式の訓練だった。このスパルタ式の訓練は彼の右の膝頭へ一生消えない傷痕《きずあと》を残した。恐らくは彼の性格へも、――信輔は未だに威丈高になった父の小言を覚えている。――「貴様は意気地もない癖に、何をする時でも剛情でいかん。」
しかし彼の迷信は幸にも次第に消えて行った。のみならず彼は西洋史の中に少くとも彼の迷信には反証に近いものを発見した。それは羅馬《ローマ》の建国者ロミュルスに乳を与えたものは狼であると言う一節だった。彼は母の乳を知らぬことに爾来《じらい》一層冷淡になった。いや、牛乳に育ったことは寧《むし》ろ彼の誇りになった。信輔は中学へはいった春、年とった彼の叔父と一しょに、当時叔父が経営していた牧場へ行ったことを覚えている。殊にやっと柵《さく》の上へ制服の胸をのしかけたまま、目の前へ歩み寄った白牛に干し草をやったことを覚えている。牛は彼の顔を見上げながら、静かに干し草へ鼻を出した。彼はその顔を眺めた時、ふとこの牛の瞳《ひとみ》の中に何にか人間に近いものを感じた。空想?――或は空想かも知れない。が、彼の記憶の中には未だに大きい白牛が一頭、花を盛った杏《あんず》の枝の下の柵によった彼を見上げている。しみじみと、懐しそうに。………
三 貧困
信輔の家庭は貧しかった。尤《もっと》も彼等の貧困は棟割長屋《むねわりながや》に雑居する下流階級の貧困ではなかった。が、体裁を繕う為により苦痛を受けなければならぬ中流下層階級の貧困だった。退職官吏だった、彼の父は多少の貯金の利子を除けば、一年に五百円の恩給に女中とも家族五人の口を餬《のり》して行かなければならなかった。その為には勿論節倹の上にも節倹を加えなければならなかった。彼等は玄関とも五間の家に――しかも小さい庭のある門構えの家に住んでいた。けれども新らしい着物などは誰一人滅多に造らなかった。父は常に客にも出されぬ悪酒の晩酌に甘んじていた。母もやはり羽織の下にはぎだ
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