ろ》の校舎の中に、――丈の高いポプラアの戦《そよ》ぎの中にこう言う囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。のみならず――
のみならず彼の教師と言うものを最も憎んだのも中学だった。教師は皆個人としては悪人ではなかったに違いなかった。しかし「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのずから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかった。現に彼等の或ものは、――達磨《だるま》と言う諢名《あだな》のある英語の教師は「生意気である」と言う為に度たび信輔に体刑を課した。が、その「生意気である」所以《ゆえん》は畢竟《ひっきょう》信輔の独歩や花袋《かたい》を読んでいることに外ならなかった。又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だった。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかった。その為に何度も信輔を「お前は女か?」と嘲笑《ちょうしょう》した。信輔は或時|赫《かっ》とした拍子に、「先生は男ですか?」と反問した。教師は勿論彼の不遜《ふそん》に厳罰を課せずには措《お》かなかった。その外もう紙の黄ばんだ「自ら欺かざるの記」を読み返して見れば、彼の屈辱を蒙《こうむ》ったことは枚挙し難い位だった。自尊心の強い信輔は意地にも彼自身を守る為に、いつもこう言う屈辱を反撥《はんぱつ》しなければならなかった。さもなければあらゆる不良少年のように彼自身を軽んずるのに了《おわ》るだけだった。彼はその自彊術《じきょうじゅつ》の道具を当然「自ら欺かざるの記」に求めた。――
「予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。
「その一は文弱也。文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。
「その二は軽佻《けいてう》浮薄也。軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。
「その三は傲慢《がうまん》也。傲慢とは妄《みだり》に他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。
しかし教師も悉《ことごと》く彼を迫害した訣ではなかった。彼等の或ものは家族を加えた茶話会に彼を招待した。又彼等の或ものは彼に英語の小説などを貸した。彼は四学年を卒業した時、こう言う借りものの小説の中に「猟人日記」の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えている。が、「教育上の責任」は常に彼等と人間同士の親しみを交える妨害をした。それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力
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