潮につれて灰色の帆を半ば張った伝馬船《てんまぶね》が一|艘《そう》、二艘とまれに川を上って来るが、どの船もひっそりと静まって、舵《かじ》を執《と》る人の有無《うむ》さえもわからない。自分はいつもこの静かな船の帆と、青く平らに流れる潮のにおいとに対して、なんということもなく、ホフマンスタアルのエアレエプニスという詩をよんだ時のような、言いようのないさびしさを感ずるとともに、自分の心の中にもまた、情緒の水のささやきが、靄の底を流れる大川の水と同じ旋律をうたっているような気がせずにはいられないのである。

 けれども、自分を魅《み》するものはひとり大川の水の響きばかりではない。自分にとっては、この川の水の光がほとんど、どこにも見いだしがたい、なめらかさと暖かさとを持っているように思われるのである。
 海の水は、たとえば碧玉《ジャスパア》の色のようにあまりに重く緑を凝らしている。といって潮の満干《みちひ》を全く感じない上流の川の水は、言わばエメラルドの色のように、あまりに軽く、余りに薄っぺらに光りすぎる。ただ淡水と潮水《ちょうすい》とが交錯する平原の大河の水は、冷やかな青に、濁った黄の暖かみを
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