することなどはないであらう。もし、何か影響があるとすれば、かういふことはいはれるかも知れぬ。
災害の大きかつただけにこんどの大地震は、我我作家の心にも大きな動揺を与へた。我我ははげしい愛や、憎しみや、憐《あはれ》みや、不安を経験した。在来、我我のとりあつかつた人間の心理は、どちらかといへばデリケエトなものである。それへ今度はもつと線の太い感情の曲線をゑがいたものが新《あらた》に加はるやうになるかも知れない。勿論《もちろん》その感情の波を起伏《きふく》させる段取りには大地震や火事を使ふのである。事実はどうなるかわからぬが、さういふ可能性はありさうである。
また大地震後の東京は、よし復興するにせよ、さしあたり殺風景《さつぷうけい》をきはめるだらう。そのために我我は在来のやうに、外界に興味を求めがたい。すると我我自身の内部に、何か楽みを求めるだらう。すくなくとも、さういふ傾向の人は更《さら》にそれを強めるであらう。つまり、乱世に出合つた支那の詩人などの隠棲《いんせい》の風流を楽しんだと似たことが起りさうに思ふのである。これも事実として予言は出来ぬが、可能性はずゐぶんありさうに思ふ。
前の傾向は多数へ訴《うつた》へる小説をうむことになりさうだし、後《のち》の傾向は少数に訴へる小説をうむことになる筈である。即ち両者の傾向は相反してゐるけれども、どちらも起らぬと断言しがたい。
七 古書の焼失を惜しむ
今度の地震で古美術品と古書との滅びたのは非常に残念に思ふ。表慶館《へいけいくわん》に陳列されてゐた陶器類は殆《ほとん》ど破損したといふことであるが、その他にも損害は多いにちがひない。然し古美術品のことは暫らく措《お》き古書のことを考へると黒川家《くろかはけ》の蔵書も焼け、安田家《やすだけ》の蔵書も焼け大学の図書館《としよかん》の蔵書も焼けたのは取り返しのつかない損害だらう。商売人でも村幸《むらかう》とか浅倉屋《あさくらや》とか吉吉《よしきち》だとかいふのが焼けたからその方の罹害《りがい》も多いにちがひない。個人の蔵書は兎《と》も角《かく》も大学図書館の蔵書の焼かれたことは何んといつても大学の手落ちである。図書館の位置が火災の原因になりやすい医科大学の薬品のあるところと接近してゐるのも宜敷《よろし》くない。休日などには図書館に小使位しか居ないのも宜《よろ》しくない、(その為めに今度のやうな火災にもどういふ本が貴重かがわからず、従って貴重な本を出すことも出来なかつたらしい。)書庫そのものの構造のゾンザイなのも宜敷《よろし》くない。それよりももつと突き詰めたことをいへば、大学が古書を高閣《かうかく》に束《つか》ねるばかりで古書の覆刻《ふくこく》を盛んにしなかつたのも宜敷《よろし》くない。徒《いたづ》らに材料を他に示すことを惜んで竟《つひ》にその材料を烏有《ういう》に帰せしめた学者の罪は鼓《つづみ》を鳴らして攻むべきである。大野洒竹《おほのしやちく》の一生の苦心に成つた洒竹《しやちく》文庫の焼け失《う》せた丈《だ》けでも残念で堪らぬ。「八九間雨柳《はつくけんやなぎ》」といふ士朗《しらう》の編んだ俳書などは勝峯晉風《かつみねしんぷう》氏の文庫と天下に二冊しかなかつたやうに記憶してゐるが、それも今は一冊になつてしまつた訣《わけ》だ。
[#地から1字上げ](大正十二年九月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング