気もちにならなかつたにしろ、今は惜しんでゐるのかも知れません。どうもその辺《へん》はぼんやりしてゐます。僕はもう俗悪な東京にいつか追憶の美しさをつけ加へてゐるやうな気がしますから。つまり一番確かなのは「落つる涙は」と云ふ気のしたことです。僕の東京を弔《とむら》ふ気もちもこの一語を出ないことになるのでせう。「落つる涙は」、――これだけではいけないでせうか?
 何《なん》だかとりとめもない事ばかり書きましたが、どうか悪《あ》しからず御赦《おゆる》し下さい。僕はこの手紙を書いて了《しま》ふと、僕の家に充満した焼け出されの親戚《しんせき》故旧《こきう》と玄米の夕飯《ゆふめし》を食ふのです。それから堤燈《ちやうちん》に蝋燭《らふそく》をともして、夜警《やけい》の詰所《つめしよ》へ出かけるのです。以上。

     六 震災の文芸に与ふる影響

 大《だい》地震の災害は戦争や何かのやうに、必然に人間のうみ出したものではない。ただ大地《だいち》の動いた結果、火事が起つたり、人が死んだりしたのにすぎない。それだけに震災の我我作家に与へる影響はさほど根深くはないであらう。すくなくとも、作家の人生観を一変
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