す」と云ふのは真面目《まじめ》に書いた文句《もんく》かも知れない。しかし哀れにも風流である。僕はこの一行《いちぎやう》の中に秋風《しうふう》の舟を家と頼んだ幇間《ほうかん》の姿を髣髴《はうふつ》した。江戸作者の写した吉原《よしはら》は永久に還《かへ》つては来ないであらう。が、兎《と》に角《かく》今日《こんにち》と雖《いへど》も、かう云ふ貼り紙に洒脱《しやだつ》の気を示した幇間《ほうかん》のゐたことは確かである。

      三

 大《だい》地震のやつと静まつた後《のち》、屋外《をくぐわい》に避難した人人は急に人懐しさを感じ出したらしい。向う三軒両隣を問はず、親しさうに話し合つたり、煙草や梨《なし》をすすめ合つたり、互に子供の守《も》りをしたりする景色は、渡辺町《わたなべちやう》、田端《たばた》、神明町《しんめいちやう》、――殆《ほとん》ど至る処に見受けられたものである。殊に田端《たばた》のポプラア倶楽部《クラブ》の芝生《しばふ》に難を避けてゐた人人などは、背景にポプラアの戦《そよ》いでゐるせゐか、ピクニツクに集まつたのかと思ふ位、如何《いか》にも楽しさうに打ち解《と》けてゐた。
 これは夙《つと》にクライストが「地震」の中に描《ゑが》いた現象である。いや、クライスト[#「クライスト」は底本では「クイラスト」]はその上に地震後の興奮が静まるが早いか、もう一度平生の恩怨《おんゑん》が徐《おもむ》ろに目ざめて来る恐しささへ描《ゑが》いた。するとポプラア倶楽部《クラブ》の芝生《しばふ》に難を避けてゐた人人もいつ何時《なんどき》隣の肺病患者を駆逐《くちく》しようと試みたり、或は又向うの奥さんの私行を吹聴《ふいちやう》して歩かうとするかも知れない。それは僕でも心得てゐる。しかし大勢《おほぜい》の人人の中にいつにない親しさの湧《わ》いてゐるのは兎《と》に角《かく》美しい景色だつた。僕は永久にあの記憶だけは大事にして置きたいと思つてゐる。

      四

 僕も今度は御多分《ごたぶん》に洩《も》れず、焼死した死骸《しがい》を沢山《たくさん》見た。その沢山の死骸のうち最も記憶に残つてゐるのは、浅草《あさくさ》仲店《なかみせ》の収容所にあつた病人らしい死骸である。この死骸も炎《ほのほ》に焼かれた顔は目鼻もわからぬほどまつ黒だつた。が、湯帷子《ゆかた》を着た体や痩《や》せ細つた手
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