やうせい》に哀悼《あいたう》の念を抱《いだ》いてゐる。ロテイの描《か》いた日本はヘルンの描いた日本よりも、真《しん》を伝へない画図《ぐわと》かも知れない。しかし兎《と》に角《かく》好画図たることは異論を許さない事実である。我我の姉妹たるお菊さんだの或は又お梅さんだのは、ロテイの小説を待つた後《のち》、巴里《パリ》の敷石の上をも歩むやうになつた。我我は其処《そこ》にロテイに対する日本の感謝を捧げたいと思ふ。なほロテイの生涯は大体左に示す通りである。
千八百五十年一月十四日、ロテイはロシユフオオルで生れ、十七歳の時、海軍に入り、千九百六年大佐になつた。大佐になつたのは数へ年で五十七の時である。
最初の作は千八百七十九年、即三十歳の時|公《おほやけ》にした 〔Aziyade'〕 である。後ち一年、千八百八十年に Rarahu を出して一躍流行児になつた。これは二年の後《のち》「ロテイの結婚」と改題再刊されたものである。
かの「お菊さん」は千八百八十七年に、「日本の秋」は八十九年に公《おほやけ》にされた。
アカデミイの会員に選まれたのは九十一年、数へて四十二歳の時である。
彼は、国際電報の伝ふるところによると、十日アンダイエで死んだのである。時に歳七十三。
四 新緑の庭
桜 さつぱりした雨上《あまあが》りです。尤《もつと》も花の萼《がく》は赤いなりについてゐますが。
椎《しひ》 わたしもそろそろ芽《め》をほごしませう。このちよいと鼠がかつた芽をね。
竹 わたしは未《いま》だに黄疸《わうだん》ですよ。……
芭蕉《ばせう》 おつと、この緑のランプの火屋《ほや》を風に吹き折られる所だつた。
梅 何だか寒気《さむけ》がすると思つたら、もう毛虫がたかつてゐるんだよ。
八《や》つ手《で》 痒《かゆ》いなあ、この茶色の産毛《うぶげ》のあるうちは。
百日紅《さるすべり》 何、まだ早うござんさあね。わたしなどは御覧の通り枯枝ばかりさ。
霧島躑躅《きりしまつつじ》 常《じやう》――常談《じやうだん》云つちやいけない。わたしなどはあまり忙《せは》しいものだから、今年《ことし》だけはつい何時《いつ》にもない薄紫《うすむらさき》に咲いてしまつた。
覇王樹《サボテン》 どうでも勝手にするが好《い》いや。おれの知つたことぢやなし。
石榴《ざくろ》 ちよいと枝一面に蚤《のみ》のたかつたやうでせう。
苔《こけ》 起きないこと?
石 うんもう少し。
楓《かへで》 「若楓《わかかへで》茶色になるも一盛《ひとさか》り」――ほんたうにひと盛りですね。もう今は世間並みに唯水水しい鶸色《ひわいろ》です。おや、障子《しやうじ》に灯《ひ》がともりました。
五 春の日のさした往来《わうらい》をぶらぶら一人歩いてゐる
春の日のさした往来をぶらぶら一人《ひとり》歩いてゐる。向うから来るのは屋根屋の親かた。屋根屋の親かたもこの節は紺の背広に中折帽《なかをればう》をかぶり、ゴムか何かの長靴《ながぐつ》をはいてゐる。それにしても大きい長靴だなあ。膝――どころではない。腿《もも》も半分がたは隠れてゐる。ああ云ふ長靴をはいた時には、長靴をはいたと云ふよりも、何かの拍子《ひやうし》に長靴の中へ落つこつたやうな気がするだらうなあ。
顔馴染《かほなじみ》の道具屋を覗《のぞ》いて見る。正面の紅木《こうぼく》の棚《たな》の上に虫明《むしあ》けらしい徳利《とくり》が一本。あの徳利の口などは妙に猥褻《わいせつ》に出来上つてゐる。さうさう、いつか見た古備前《こびぜん》の徳利の口もちよいと接吻《せつぷん》位したかつたつけ。鼻の先に染めつけの皿が一枚。藍色《あゐいろ》の柳の枝垂《しだ》れた下にやはり藍色の人が一人《ひとり》、莫迦《ばか》に長い釣竿《つりざを》を伸ばしてゐる。誰かと思つて覗《のぞ》きこんで見たら、金沢《かなざわ》にゐる室生犀星《むろふさいせい》!
又ぶらぶら歩きはじめる。八百屋《やほや》の店に慈姑《くわゐ》がすこし。慈姑の皮の色は上品だなあ。古い泥七宝《でいしつぱう》の青に似てゐる。あの慈姑《くわゐ》を買はうかしら。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》をつけ。買ふ気のないことは知つてゐる癖に。だが一体どう云ふものだらう、自分にも※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]をつきたい気のするのは。今度は小鳥屋。どこもかしこも鳥籠だらけだなあ。おや、御亭主《ごていしゆ》も気楽さうに山雀《やまがら》の籠の中に坐つてゐる!
「つまり馬に乗つた時と同じなのさ。」
「カントの論文に崇《たた》られたんだね。」
後ろからさつさと通りぬける制服制帽の大学生が二人《ふたり》。ちよいと聞いた他人の会話と云ふ
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