氈sじふべんじふぎでふ》あるが故に、大雅《たいが》と蕪村《ぶそん》とを並称《へいしやう》するは所謂文人の為す所なり。予はたとひ宮《きゆう》せらるると雖《いへど》も、この種の狂人と伍することを願はず。
 ひとり是のみに止《とどま》らず、予は文人趣味を軽蔑するものなり。殊に化政度《くわせいど》に風行《ふうかう》せる文人趣味を軽蔑するものなり。文人趣味は道楽のみ。道楽に終始すと云はば則ち已《や》まん。然れどももし道楽以上の貼札《はりふだ》を貼らんとするものあらば、山陽《さんやう》の画《ゑ》を観せしむるに若《し》かず。日本外史《にほんぐわいし》は兎《と》も角《かく》も一部の歴史小説なり。画に至つては呉《ご》か越《ゑつ》か、畢《つひ》につくね芋《いも》の山水のみ。更に又|竹田《ちくでん》の百活矣《ひやくくわつい》は如何《いかん》。これをしも芸術と云ふ可《べ》くんば、安来節《やすぎぶし》も芸術たらざらんや。予は勿論彼等の道楽を排斥せんとするものにあらず。予をして当時に生まれしめば、戯れに河童晩帰《かつぱばんき》の図を作り、山紫水明楼上の一粲《いつさん》を博せしやも亦《また》知る可からず。且又彼等も聰明の人なり。豈《あに》彼等の道楽を彼等の芸術と混同せんや。予は常に確信す、大正の流俗、芸術を知らず、無邪気なる彼等の常談《じやうだん》を大真面目《おほまじめ》に随喜し渇仰《かつがう》するの時、まづ噴飯《ふんぱん》に堪へざるものは彼等両人に外《ほか》ならざるを。
 梅花は予の軽蔑する文人趣味を強ひんとするものなり、下劣詩魔《げれつしま》に魅《み》せしめんとするものなり。予は孑然《けつぜん》たる征旅の客《きやく》の深山|大沢《だいたく》を恐るるが如く、この梅花を恐れざる可からず。然れども思へ、征旅の客の踏破の快を想見するものも常に亦《また》深山大沢なることを。予は梅花を見る毎に、峨眉《がび》の雪を望める徐霞客《じよかかく》の如く、南極の星を仰げるシヤツクルトンの如く、鬱勃《うつぼつ》たる雄心をも禁ずること能《あた》はず。
[#天から3字下げ]灰捨てて白梅うるむ垣根かな
 加ふるに凡兆《ぼんてう》の予等の為に夙《つと》に津頭《しんとう》を教ふるものあり。予の渡江に急ならんとする、何ぞ少年の客気《かくき》のみならんや。
 予は独自の眼光を以て容易に梅花を観難《みがた》きが故に、愈《いよいよ》独自の眼光を以て梅花を観《み》んと欲するものなり。聊《いささ》かパラドツクスを弄《ろう》すれば、梅花に冷淡なること甚しきが故に、梅花に熱中すること甚しきものなり。高青邱《かうせいきう》の詩に云ふ。「瓊姿只合在瑤台《けいしただまさにえうたいにあるべし》 誰向江辺処処栽《たれかかうへんしよしよにむかつてうう》」又云ふ。「自去何郎無好詠《からうさつてよりかうえいなし》 東風愁寂幾回開《とうふうしうせきいくくわいかひらく》」真に梅花は仙人の令嬢か、金持の隠居の囲《かこ》ひものに似たり。(後者は永井荷風《ながゐかふう》氏の比喩《ひゆ》なり。必《かならず》しも前者と矛盾《むじゆん》するものにあらず)予の文に至らずとせば、斯《かか》る美人に対する感慨を想《おも》へ。更に又汝の感慨にして唯ほれぼれとするのみなりとせば、已《や》んぬるかな、汝も流俗のみ、済度《さいど》す可からざる乾屎※[#「木+厥」、第3水準1−86−15]のみ。

     十一 暗合

「お富《とみ》の貞操」と云ふ小説を書いた時、お富は某氏夫人ではないかと尋ねられた人が三人ある。又あの小説の中に村上新三郎《むらかみしんざぶらう》と云ふ乞食《こじき》が出て来る。幕末に村上新五郎と云ふ奇傑がゐたが同一人《どういちにん》かと尋ねられた人もある。しかしあの小説は架空の談《はなし》だから、謂《い》ふ所のモデルを用ゐたのではない。「お富の貞操」の登場人物はお富と乞食と二人《ふたり》だけである。その二人とも実在の人物に似てゐると云ふのは珍らしい暗合《あんがふ》に違ひない。僕は以前|藤野古白《ふぢのこはく》の句に「傀儡師《くわいらいし》日暮れて帰る羅生門《らしやうもん》」と云ふのを見、「傀儡師」「羅生門」共に僕の小説集の名だから、暗合《あんがふ》の妙に驚いたことがある。然るに今又この暗合に出合つた。僕には暗合が祟《たた》つてゐるらしい。

     十二 コレラ

 コレラが流行《はや》るので思ひ出すのは、漱石《そうせき》先生の話である。先生の子供の時分にも、コレラが流行つたことがある。その時、先生は豆を沢山《たくさん》食つて、水を沢山飲んで、それから先生のお父さんと一緒《いつしよ》に、蚊帳《かや》の中に寝てゐたさうである。さうして、その明け方に、蚊帳の中で、いきなり吐瀉《としや》を始めたさうである。すると、先生のお父さんは「そ
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