ニ自の眼光を以て梅花を観《み》んと欲するものなり。聊《いささ》かパラドツクスを弄《ろう》すれば、梅花に冷淡なること甚しきが故に、梅花に熱中すること甚しきものなり。高青邱《かうせいきう》の詩に云ふ。「瓊姿只合在瑤台《けいしただまさにえうたいにあるべし》 誰向江辺処処栽《たれかかうへんしよしよにむかつてうう》」又云ふ。「自去何郎無好詠《からうさつてよりかうえいなし》 東風愁寂幾回開《とうふうしうせきいくくわいかひらく》」真に梅花は仙人の令嬢か、金持の隠居の囲《かこ》ひものに似たり。(後者は永井荷風《ながゐかふう》氏の比喩《ひゆ》なり。必《かならず》しも前者と矛盾《むじゆん》するものにあらず)予の文に至らずとせば、斯《かか》る美人に対する感慨を想《おも》へ。更に又汝の感慨にして唯ほれぼれとするのみなりとせば、已《や》んぬるかな、汝も流俗のみ、済度《さいど》す可からざる乾屎※[#「木+厥」、第3水準1−86−15]のみ。
十一 暗合
「お富《とみ》の貞操」と云ふ小説を書いた時、お富は某氏夫人ではないかと尋ねられた人が三人ある。又あの小説の中に村上新三郎《むらかみしんざぶらう》と云ふ乞食《こじき》が出て来る。幕末に村上新五郎と云ふ奇傑がゐたが同一人《どういちにん》かと尋ねられた人もある。しかしあの小説は架空の談《はなし》だから、謂《い》ふ所のモデルを用ゐたのではない。「お富の貞操」の登場人物はお富と乞食と二人《ふたり》だけである。その二人とも実在の人物に似てゐると云ふのは珍らしい暗合《あんがふ》に違ひない。僕は以前|藤野古白《ふぢのこはく》の句に「傀儡師《くわいらいし》日暮れて帰る羅生門《らしやうもん》」と云ふのを見、「傀儡師」「羅生門」共に僕の小説集の名だから、暗合《あんがふ》の妙に驚いたことがある。然るに今又この暗合に出合つた。僕には暗合が祟《たた》つてゐるらしい。
十二 コレラ
コレラが流行《はや》るので思ひ出すのは、漱石《そうせき》先生の話である。先生の子供の時分にも、コレラが流行つたことがある。その時、先生は豆を沢山《たくさん》食つて、水を沢山飲んで、それから先生のお父さんと一緒《いつしよ》に、蚊帳《かや》の中に寝てゐたさうである。さうして、その明け方に、蚊帳の中で、いきなり吐瀉《としや》を始めたさうである。すると、先生のお父さんは「そ
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