ゥの眼を以てするは必《かならず》しも容易の業《わざ》にあらず。(否、絶対に[#「絶対に」に傍点]独自の眼を以てするは不可能と云ふも妨《さまた》げざる可し。)殊に万人《ばんにん》の詩に入ること屡《しばしば》なりし景物を見るに独自の眼光を以てするは予等の最も難しとする所なり。試みに「暮春《ぼしゆん》」の句を成すを思へ。蕪村《ぶそん》の「暮春」を詠《えい》ぜし後《のち》、誰か又独自の眼光を以て「暮春」を詠じ得るの確信あらんや。梅花の如きもその一のみ。否、正にその最たるものなり。
梅花は予に伊勢物語《いせものがたり》の歌より春信《はるのぶ》の画《ゑ》に至る柔媚《じうび》の情を想起せしむることなきにあらず。然れども梅花を見る毎《ごと》に、まづ予の心を捉《とら》ふるものは支那に生じたる文人趣味《ぶんじんしゆみ》なり。こは啻《ただ》に予のみにあらず、大方《おほかた》の君子《くんし》も亦《また》然るが如し。(是《ここ》に於て乎《か》、中央公論記者も「梅花の賦《ふ》」なる語を用ゐるならん。)梅花を唯愛すべきジエヌス・プリヌスの花と做《な》すは紅毛碧眼《こうまうへきがん》の詩人のことのみ。予等は梅花の一瓣にも、鶴《つる》を想《おも》ひ、初月《しよげつ》を想ひ、空山《くうざん》を想ひ、野水《やすゐ》を想ひ、断角《だんかく》を想ひ、書燈を想ひ、脩竹《しうちく》を想ひ、清霜《せいさう》を想ひ、羅浮《らふ》を想ひ、仙妃《せんぴ》を想ひ、林処士《りんしよし》の風流を想はざる能《あた》はず。既《すで》に斯《か》くの如しとせば、予等独自の眼光を以て万象を観んとする芸術の士の、梅花に好意を感ぜざるは必《かならず》しも怪しむを要せざるべし。(こは夙《つと》に永井荷風《ながゐかふう》氏の「日本の庭」の一章たる「梅」の中に道破せる真理なり。文壇は詩人も心臓以外に脳髄を有するの事実を認めず。是《これ》予に今日《こんにち》この真理を盗用せしむる所以《ゆゑん》なり。)
予の梅花を見る毎《ごと》に、文人趣味を喚《よ》び起さるるは既に述べし所の如し。然れども妄《みだり》に予を以て所謂《いはゆる》文人と做《な》すこと勿《なか》れ。予を以て詐偽師《さぎし》と做《みな》すは可なり。謀殺犯人と做すは可なり。やむを得ずんば大学教授の適任者と做すも忍ばざるにあらず。唯幸ひに予を以て所謂《いはゆる》文人と做すこと勿れ。十便十宜
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