ウうだ。しかし実際さう云ふものだらうか?
 主人 そりや実際さう云ふものだよ。
 客 芸術上の玄人《くろうと》もかね? たとへば小説家とか、画家とか云ふ、――
 主人 玄人《くろうと》はまあ素人《しろうと》より芸術のことを考へさうだね。しかしそれも考へて見れば、実は五十歩百歩なんだらう。現在頭に火がついてゐるのに、この火焔をどう描写しようなどと考へる豪傑《がうけつ》はゐまいからね。
 客 しかし昔の侍《さむらひ》などは横腹を槍《やり》に貫かれながら、辞世《じせい》の歌を咏《よ》んでゐるからね。
 主人 あれは唯名誉の為だね。意識した芸術的衝動などは別のものだね。
 客 ぢや我我の芸術的衝動はああ云ふ大変に出合つたが最後、全部なくなつてしまふと云ふのかね?
 主人 そりや全部はなくならないね。現に遭難民《さうなんみん》の話を聞いて見給へ。思ひの外《ほか》芸術的なものも沢山《たくさん》あるから。――元来芸術的に表現される為にはまづ一応《いちおう》芸術的に印象されてゐなければならない筈だらう。するとさう云ふ連中は知らず識らず芸術的に心を働かせて来た訣《わけ》だね。
 客 (反語的に)しかしさう云ふ連中も頭に火でもついた日にや、やつぱり芸術的衝動を失うことになるだらうね?
 主人 さあ、さうとも限らないね。無意識の芸術的衝動だけは案外《あんぐわい》生死の瀬戸際《せとぎは》にも最後の飛躍をするものだからね? 辞世の歌で思ひ出したが、昔の侍の討死《うちじに》などは大抵《たいてい》戯曲的或は俳優的衝動の――つまり俗に云ふ芝居気《しばゐぎ》の表はれたものとも見られさうぢやないか?
 客 ぢや芸術的衝動はどう云ふ時にもあり得ると云ふんだね?
 主人 無意識の芸術的衝動はね。しかし意識した芸術的衝動はどうもあり得るとは思はれないね。現在頭に火がついてゐるのに、………
 客 それはもう前にも聞かされたよ。ぢや君も菊池寛《きくちくわん》氏に全然|賛成《さんせい》してゐるのかね?
 主人 あり得ないと云ふことだけはね。しかし菊池氏はあり得ないのを寂しいと云つてゐるのだらう? 僕は寂しいとも思はないね、当り前だとしか思はないね。
 客 なぜ?
 主人 なぜも何もありやしないさ。命あつての物種《ものだね》と云ふ時にや、何も彼《か》も忘れてゐるんだからね。芸術も勿論《もちろん》忘れる筈ぢやないか?
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