オうしふへき》と云ふものを持つたことはない。もし持つたことがあるとすれば、年少時代に昆虫類の標本《へうほん》を集めたこと位であらう。現在は成程《なるほど》書物だけは幾らか集まつてゐるかも知れない。しかしそれも集まつたのである。落葉の風だまりへ集まるやうに自然と書棚《しよだな》へ集まつたのである。何も苦心して集めた訣《わけ》ではない。
 書物さへ既《すで》にさうである。況《いはん》や書画とか骨董《こつとう》とかは一度も集めたいと思つたことはない。尤《もつと》もこれはと思つたにしろ、到底《たうてい》我我売文の徒には手の出ぬせゐでもありさうである。しかし僕の集めたがらぬのは必《かならず》しもその為ばかりではない。寧《むし》ろ集めたいと云ふ気持に余り快哉《くわいさい》を感ぜぬのである。或は集めんとする気組みに倦怠《けんたい》を感じてしまふのである。
 これは智識も同じことである。僕はまだ如何《いか》なる智識も集めようと思つて集めたことはない。尤《もつと》も集めたと思はれるほど、智識のないことも事実である。しかし多少でもあるとすれば、兎《と》に角《かく》集まつたと云はなければならぬ。
 蒐集家《しうしふか》は情熱に富んだものである。殊にたつた一枚のマツチの商標《しやうへう》を手に入れる為に、世界を周遊する蒐集家などは殆《ほとん》ど情熱そのものである。だから情熱を軽蔑しない限り、蒐集家も一笑《いつせう》に付することは出来ない。しかし僕は蒐集家とは別の鋳型《いがた》に属してゐる。同時に又革命家や予言者とも別の鋳型に属してゐる。
 僕はマツチの商標に対する情熱にも同情を感じてゐる。いや、同情と云ふ代りに敬意と云つても差支《さしつか》へない。しかしマツチの商標の価値にはどちらかと云へば懐疑的である。僕は以前かう云ふ気質を羞《は》づかしいと思つたことがあつた。けれども面皮《めんぴ》の厚くなつた今はさほど卑下《ひげ》する気もちにもなれない。――

     八 知己料

 僕等は当時「新思潮《しんしてう》」といふ同人雑誌《どうじんざつし》に楯《たて》こもつてゐた。「新思潮」以外の雑誌にも時時作品を発表するのは久米正雄《くめまさを》一人《ひとり》ぎりだつた。そこへ「希望」といふ雑誌社から、突然僕へ宛てた手紙が来た。手紙には、五月号に間《ま》に合ふやうに短篇を一つお願ひしたい。御都合《ごつが
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