いヨハネのクリストも斥《しりぞ》けることは出来ない。兎《と》に角《かく》彼等の伝へたクリストに比べれば、後代の伝へたクリストは、――殊に彼をデカダンとした或ロシア人のクリストは徒らに彼を傷《きずつ》けるだけである。クリストは一時代の社会的約束を蹂躙《じうりん》することを顧みなかつた。(売笑婦や税吏《みつぎとり》や癩《らい》病人はいつも彼の話し相手である。)しかし天国を見なかつたのではない。クリストを l'enfant に描いた画家たちはおのづからかう云ふクリストに憐みに近いものを感じてゐたであらう。(それは母胎を離れた後、「唯我独尊」の獅子吼《ししく》をした仏陀よりもはるかに手《た》よりのないものである。)けれども幼児だつたクリストに対する彼等の憐みは多少にもしろ、デカダンだつたクリストに対する彼の同情よりも勝つてゐる。クリストは如何に葡萄酒に酔つても、何か彼自身の中にあるものは天国を見せずには措《お》かなかつた。彼の悲劇はその為に、――単にその為に起つてゐる。或ロシア人は或時のクリストの如何《いか》に神に近かつたかを知つてゐない。が、四人の伝記作者たちはいづれもこの事実に注目してゐた
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