セざりき。」――かう云ふマコの言葉は又他の伝記作者の言葉である。クリストは度たび隠れようとした。が、彼のジヤアナリズムや奇蹟は彼に人々を集まらせてゐた。彼のイエルサレムへ赴《おもむ》いたのもペテロの彼を「メシア」と呼んだ影響も全然ないことはない。しかしクリストは十二の弟子たちよりも或は橄欖《かんらん》の林だの岩の山などを愛したであらう。しかもジヤアナリズムや奇蹟を行つたのは彼の性格の力である。彼はここでも我々のやうに矛盾せずにはゐられなかつた。けれどもジヤアナリストとなつた後、彼の孤身を愛したのは疑ひのない事実である。トルストイは彼の死ぬ時に「世界中に苦しんでゐる人々は沢山ある。それをなぜわたしばかり大騒ぎをするのか?」と言つた。この名声の高まると共に自ら安じない心もちは我々にも決してない訣《わけ》ではない。クリストは名高いジヤアナリストになつた。しかし時々大工の子だつた昔を懐がつてゐたかも知れない。ゲエテはかう云ふ心もちをフアウスト自身に語らせてゐる。フアウストの第二部の第一幕は実にこの吐息の作つたものと言つても善《よ》い。が、フアウストは幸ひにも艸花《くさばな》の咲いた山の上に佇《
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