いヨハネのクリストも斥《しりぞ》けることは出来ない。兎《と》に角《かく》彼等の伝へたクリストに比べれば、後代の伝へたクリストは、――殊に彼をデカダンとした或ロシア人のクリストは徒らに彼を傷《きずつ》けるだけである。クリストは一時代の社会的約束を蹂躙《じうりん》することを顧みなかつた。(売笑婦や税吏《みつぎとり》や癩《らい》病人はいつも彼の話し相手である。)しかし天国を見なかつたのではない。クリストを l'enfant に描いた画家たちはおのづからかう云ふクリストに憐みに近いものを感じてゐたであらう。(それは母胎を離れた後、「唯我独尊」の獅子吼《ししく》をした仏陀よりもはるかに手《た》よりのないものである。)けれども幼児だつたクリストに対する彼等の憐みは多少にもしろ、デカダンだつたクリストに対する彼の同情よりも勝つてゐる。クリストは如何に葡萄酒に酔つても、何か彼自身の中にあるものは天国を見せずには措《お》かなかつた。彼の悲劇はその為に、――単にその為に起つてゐる。或ロシア人は或時のクリストの如何《いか》に神に近かつたかを知つてゐない。が、四人の伝記作者たちはいづれもこの事実に注目してゐた。

     3 共産主義者

 クリストはあらゆるクリストたちのやうに共産主義的精神を持つてゐる。若し共産主義者の目から見るとすれば、クリストの言葉は悉《ことごと》く共産主義的宣言に変るであらう。彼に先立つたヨハネさへ「二つの衣服《うはぎ》を持てる者は持たぬ者に分け与へよ」と叫んでゐる。しかしクリストは無政府主義者ではない。我々人間は彼の前におのづから本体を露《あらは》してゐる。(尤《もつと》も彼は我々人間を操縦することは出来なかつた、――或は我々人間に操縦されることは出来なかつた。それは彼のヨセフではない、聖霊の子供だつた所以《ゆゑん》である。)しかしクリストの中にあつた共産主義者を論ずることはスヰツルに遠い日本では少くとも不便を伴つてゐる。少くともクリスト教徒たちの為に。

     4 無抵抗主義者

 クリストは又無抵抗主義者だつた。それは彼の同志さへ信用しなかつた為である。近代では丁度トルストイの他人の真実を疑つたやうに。――しかしクリストの無抵抗主義は何か更に柔《やはら》かである。静かに眠つてゐる雪のやうに冷かではあつても柔かである。……

     5 生活者

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